内容説明
一九九五年三月二〇日、東京の地下鉄を襲った未曾有の恐怖。死者一四人、重軽傷者約六〇〇〇人を数えたオウムの化学兵器テロ現場に「災害派遣」された陸上自衛隊員の戦い。猛毒サリンが充満する地下鉄構内に突入した隊員たちの証言を収めた連隊長の手記。事件発生を最初に報じた新聞社カメラマンの回想も収載。
目次
第一章 第32普通科連隊
第二章 大震災と防災訓練デモ
第三章 事件発生
第四章 留守部隊の奮闘
第五章 出動準備
第六章 出陣
第七章 除染現場の闘い
第八章 幻の作戦計画
第九章 事件から得た戦訓
著者等紹介
福山隆[フクヤマタカシ]
1947年(昭和22年)、長崎県上五島・宇久島生まれ。佐世保北高から1970年(昭和45年)、防衛大学校(14期生)卒業。幹部学校指揮幕僚課程、外務省安全保障課出向、陸上幕僚監部防衛班・広報室、韓国防衛駐在官、第32普通科連隊長(地下鉄サリン事件時、除染隊派遣の指揮を執る)、陸幕調査第2課長(国外情報)、情報本部初代画像部長(衛星情報)、第11師団(札幌)副師団長、富士教導団長、九州補給処長などを歴任し2005年(平成17年)春、西部方面総監部幕僚長・陸将で退官。同年6月から2年間、ハーバード大アジアセンター上級客員研究員。現在、広洋産業株式会社顧問(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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roatsu
14
自分が生まれた頃が大東亜の敗戦から30余年が過ぎんとしていた頃、オウムが化学兵器による国民への無差別テロを起こし、国内に戦場に準じる状況が生じたあの事件から30年、と思うと同じボリュームで時が過ぎていることに慄然ともなる。未曽有の状況に対しサリン除染を主任務に出動した自衛隊第32連隊長が綴り、事に当たった当時の隊員達の手記を交えた公刊戦史というべき一冊。オウムの一連の事件が最高潮に達したあの事件で自衛隊の一線と司令部が何を考え、即応したか、大変頭の下がる思いで読んだ。石原都知事が言った「日本は裁判と葬式し2025/03/24
子なめこ
3
事件が起き、実際に移した行動だけでなく案として上がった作戦も書かれた戦闘記録。サリンを感知する能力の高いカナリアを飼育していなかったので富士演習場で拾った犬を感知代わりに除染作業に連れていこうとしたこと(却下される)、事件後カナリアを飼いサリンの脅威がないと見なされると愛好家に譲られるも有事の際は出動してもらう手筈になってたこと、オウムが抵抗すれば上九一色に74式戦車が乗り込むよう上の指示がなくとも隊は警戒、用意してたこと。事件の時には生まれていないので知らなかったが、事件の次の日から駅が使われてたとは。2025/03/30
ひら
2
多少美化されてる面はありそうですが、当時の当事者の想いが感じられて良かった。たまにはこういうノンフィクションものも良いなと思いました。2025/05/31
Go Extreme
2
「これは実戦である」「32連隊が国民の役に立つ時が来た」 「バカヤロウ、後で数が合わなかったら俺が責任を取る。今すぐ出発せよ」 「災害やテロに際し、自衛隊が真っ先に出動することで、国民に精神的な安定を与えること」 「弓に矢をつがえて放った」 「任務完遂と自己犠牲の境界」 「戦車連隊、特科(砲兵)、攻撃ヘリ(コブラ)」まで動員 「対オウム遊撃小隊」 「カナリア部隊の編成」(カナリア10羽購入、毒ガス検知用に導入) 「国家緊急時には「早すぎる出動」は存在しない」 「もっと早く自衛隊を要請していれば命が救えた」2025/04/02
おんだい
1
ラジオの断片的なニュースと部隊の当直からの情報だけで帰隊を決断できる連隊長としての危機管理意識の強さ。一方で、テロ攻撃であることが明白なのに治安出動ではなく災害派遣の命令のために、丸腰で隊員たちを送り出さなければならない不安。もし、出動した自衛隊の部隊に対して爆発物など他の手段による第2波攻撃が行われた場合、さらに大惨事になっていただろうと思うとぞっとするし、福山連隊長の脳裏にもそのような状況想定があったのだと読みとれる記述がありました。2025/05/13