内容説明
ニューギニアからの撤退、アッツ島玉砕、インド・インパール作戦の凄惨な敗退。戦況がきわめて劣勢のもと、昭和二十年三月に発動された北部仏印への進駐作戦―平和進駐から五年後、フランス軍のベトンの要塞を相手にした日本の戦史上異様とも思える緊迫した戦い。死傷者が相つぐ攻略戦の全容を捉えた感動の戦記。
目次
通信兵の戦話(作戦間のできごと;無線修業兵たち;通信兵の戦闘行動)
北部仏印平和進駐の顛末(森本大隊の越境;進駐前後の事情;進駐前夜の明暗 ほか)
北部仏印進駐(ドンダン要塞攻略戦;ランソン要塞群攻略戦;ハジャン要塞攻略戦 ほか)
著者等紹介
伊藤桂一[イトウケイイチ]
大正6年、三重県生まれ。昭和13年より終戦まで三度にわたる満7年の軍隊勤務。上海で終戦。陸軍伍長。戦後十数年、出版社の編集部勤務。37年、「螢の河」で第46回直木賞、58年、「静かなノモンハン」で第34回芸術選奨文部大臣賞及び第18回吉川栄治文学賞を受賞。60年、紫綬褒章受章。芸術院会員。平成28年10月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
roatsu
20
昭和15年、20年と二度に渡り、その目的を大きく変え実施された北部仏印進駐顛末と、支那戦線における第七十師団のある熟練通信兵が体験した戦闘や訓練、兵営生活こもごもなど貴重なエピソードを描く三編。地味だが重要な史実を伝える帝国陸軍戦史の一頁。平和進駐となるはずだった第一次進駐にて結果的に仏印軍との武力衝突に至った原因は日仏(ヴィシー政府)双方に様々な原因があるにせよ、特に「隴ヲ得テ蜀ヲ望ム」式の欲張った日本軍の戦略との著者の指摘は同時代の他の戦域でも頻繁に見られたものとして興味深い。また、公然と対日敵対姿勢2019/03/27
teitowoaruku
1
北部仏印進駐戦というから、太平洋戦争開戦前の戦いかと思いきや、それもあるがメインは昭和20年3月の明号作戦。東京大空襲が行われている中、遠いインドシナでこんな戦いが行われていたとは。インパールでは凄惨な敗退があったものの、大陸全般で日本軍は終戦まで力強く戦っていたことがわかる。2022/02/24