内容説明
発射弾数4260発。激闘3ヵ月半。山砲2門を擁して死闘を展開した砲兵中隊長、渾身の手記!砲兵の編成、装備、訓練、補給、戦場生活、陣地構築から息詰まる戦闘の一挙手一投足まで縷々活写した稀有の戦記。
目次
第1章 砲兵隊、南の海へ
第2章 戦場はニューギニア
第3章 反転、歓喜嶺へ
第4章 砲兵対砲兵の戦い
第5章 馬場小隊全滅
第6章 最後の死闘
第7章 転進命令
第8章 彷徨の果てに
著者等紹介
大畠正彦[オオハタマサヒコ]
大正8年生まれ。群馬県沼田中学より東京幼年学校をへて昭和14年、陸軍士官学校(52期)卒業。少尉任官後は野砲兵26聯隊に赴任。17年1月より第3中隊長。18年7月ニューギニアに上陸後は第1大隊長代理として終戦まで、すべての戦闘に参加。19年末、少佐。ムッシュ島に抑留後、21年2月復員。昭和29年、陸上自衛隊に入隊、第7師団特科(砲兵)大隊長、副連隊長等を歴任。平成16年4月没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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筑紫の國造
10
生還者一割以下という、まさしく地獄の戦場ニューギニアにあって、米豪軍の侵攻を阻止した砲兵中隊長の手記。たった二門の山砲で、事前準備と工夫、的確な指示と有能な部下によって著者は実に十三倍の野砲と互角に戦った。最後まで戦うことを諦めず、「砲兵」という自らの義務に忠実に生きた大畠中隊長の生き方は、悲惨な戦場の一服の清涼剤でもある。同時に、しっかりとした準備と人を得たならば、我が軍は決して米軍に引けをとらなかった、という苦い教訓でもある。著者の力量はもちろん、良き三人の上官と勇敢な部下に恵まれたことは幸運だった。2018/09/04
hurosinki
2
ニューギニア方面も凄い損害が出てるけど、地獄の比島決戦と比べるとまだマシだったんだなぁと思った。ニ正面はいろいろ対照的で、参謀についてはフィリピン島で戦った山本七平の述べるところ、機材の補給を無心すると「機材が無ければ戦闘出来ないとはどういう了見だ!」と延々怒鳴られた(これをトッツキと言うらしい。『私の中の日本軍』)のに対し、この本に出てくる参謀だと、時計が無いよと言ったらおもむろに懐中時計を差し出す男気。かっこいいよね。2019/05/16