内容説明
掃海艇長、海防艦長を歴任し、本土沿岸防備の任務に従事した一海軍予備士官の記録。太平洋戦争末期、米軍はB29爆撃機によって感応機雷を投下し、日本本土の港湾、水道、海峡の封鎖を始めた―敵の制圧下、関門海峡東部において投下機雷の掃海を命ぜられ、終戦後もなお、友軍敷設の機雷掃海を担った“最前線の戦い”を描く。
目次
第1章 卒業と開戦前夜
第2章 応召
第3章 局地警備部隊
第4章 第三三掃海隊に編入
第5章 丁型海防艦
第6章 米軍投下機雷の掃海の苦闘
第7章 わが軍敷設の機雷を掃海
第8章 戦後の掃海の犠牲
著者等紹介
隈部五夫[クマベイツオ]
明治44年3月、熊本県菊池郡砦村に生まれる。昭和10年5月、神戸高等商船学校航海科卒業、同年7月、大阪商船株式会社に入社。14年8月、東亜海運株式会社に転籍する。16年9月、応召、第二号朝日丸掃海艇長、第一五四号海防艦長を歴任。21年6月、召集解除となる。平成3年5月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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dongame6
4
題名の「機雷掃海戦」という威勢の良さとは裏腹に徴用船改造の掃海船の艦長になった予備士官がボロ船に苦労したりという「予備士官苦労話」として凄く面白い。「機雷掃海戦」は本の後半、B29が瀬戸内海に撒いた機雷の掃海で始まるのだが「水圧、磁気、音響を組み合わせた複合信管の機雷に掃海船が殆ど役に立たず、撒かれるのを監視して避けて通るしかなかった」「戦後日本軍が防御の為に設置した機雷を撤去して回った」といった話が面白かった。他の戦記と違い、大洋を駆け回ることも無く殆ど瀬戸内海の話という地味さが好きな人にはお勧め2012/02/13
む
2
神戸高等商船学校を卒業し平和な海を航海するはずだった筆者は、予備士官として応招され掃海艇長、海防艦長として機雷の掃海に従事した。戦中はB29が航路閉塞を狙って投下する高性能の感応機雷を、戦後は日本側が敷設した係維機雷を処分。一歩間違えれば自らが触雷し死亡する作業を、平和な海を取り戻す使命感で果たしきったプライドに満ちている。 「今は、年月は流れ、機雷のことも、掃海のことも、触雷した掃海艦のことも、人々の記憶からは薄れ去ったことであろう。何事もなかったように、何の心配もなく、平和な海を、船は走っている。」2019/12/07
ぞひ
1
板橋区立蓮根図書館所蔵。前半は予備士官で商船の船長をしていた著者が開戦直前に特設掃海艇の艇長になる話。人事を発令したにもかかわらず、その艇がどこにあるかもわからず、本人が日本中を探すという、日本海軍の無茶苦茶さに驚き。後半は海防艦の艦長となるが、建造でのトラブルにより南洋にはいかず、関門海峡で米軍の感応機雷の掃海に従事する話。日本海軍が感応機雷に対して何も対処ができず、為すすべもない辛さが終戦まで続く。最後は戦後、掃海艦に改装された第一五四号海防艦で、自軍が米軍の上陸を防ぐ為に設置した機雷の掃海を行う話。2016/04/03
風見草
1
冒頭の船員の目から見た社会のだんだんきな臭くなっていく様、最初に配属された小さな船の心細さや、その後配属された海防艦が単軸型であったための操縦の難しさ、機雷除去は操船がものを言うこと、アメリカの感応機雷に対処できなかったこと、下関で掃海しつつも感応機雷で爆発する船を見てきたこと、終戦直後日本が本土上陸妨害用に敷設した機雷の撤去と、応召から戦後海軍が第二復員省になって最後の掃海を終えるまでの手記です。地味な割りに危険な掃海業務を描いた稀有な一冊です。2009/09/24
日向のたぬき
0
商船の船長だった著者が特設掃海艇の艇長を経て海防艦の艦長になるも、主機のトラブルから関門海峡での機雷の掃海を経て、終戦後も掃海をする一連の体験がまとめられた本。艇長を任命された特設掃海艇は、機密保持のため場所も知らされなかった事、折角の艇も船舶としての機能に不安を抱く改装だった事など、船乗りとしてキャリアを積んだ著者の軍隊や戦争に対する静かな怒りが伝わってくる。届かないと知りながらもB29に発砲したり、それでも救助されたB29の乗員に同情するなど、著者の内面も魅力的です。
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