内容説明
日本軍の守備兵力約四万五千名のうち、四万三千名が斃れ、在留邦人一万三千名が犠牲となった悲劇の島サイパン島―第四十三師団参謀として悲壮なる戦闘を見とどけ、最後の“バンザイ突撃”に参加するも負傷、米軍にとらわれ奇跡的に生きのびた陸軍中佐が綴る玉砕島戦記。「太平洋の防波堤」の崩壊を鮮烈に描く。
目次
第1章 戦争前夜のサイパン島
第2章 守備隊の上陸
第3章 米軍の進攻
第4章 歩兵連隊の奮闘
第5章 最後の総攻撃
終章 玉砕の実態
著者等紹介
平櫛孝[ヒラクシタカシ]
1908年、広島市に生まれる。広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校卒。陸軍野戦砲兵学校、陸軍砲工(科学)学校教官、陸軍省軍務局付、陸軍省(大本営)報道部員、留守第3師団参謀、第43師団参謀兼第31軍参謀兼中部太平洋艦隊参謀を経てサイパン戦に参加。陸軍中佐。1980年2月、歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
CTC
11
単行本は79年、06年光人社NF文庫。著者は陸士41期、陸大卒、陸軍省報道部などを経て第43師団参謀としてサイパン戦に参加。 日本の守兵4.5万のうち4.3万の兵が戦死、在留邦人2.5万のうち1.3万の方が亡くなった(数字は本書内の記述、米側は陸戦参加7.1万のうち死傷1.4万)サイパン戦。陸大出の師団参謀の手とあって、情勢や地勢の記述も含め全体像が掴めるものになっている。著者自身が見届けた(という)斉藤師団長と海軍の南雲中将、及び31軍井桁参謀長の自決を記録。しかし民間人犠牲は何故防げなかったのか…。2017/03/11
好古
3
【感想】著者個人の回顧録ではなく、サイパン戦に従軍した様々な人の証言集。制空権、制海権を取られた戦争は全く悲惨である。輸送船は潜水艦に次々沈められ、物資は届かず、かろうじて上陸した兵士も負傷した上に武器も持たないのでは何の為の輸送なのか分からない。また戦闘機の機銃掃射、艦船からの猛烈な爆撃が降り注ぐ。エピソードがやや散漫としているが、地図が豊富なのは分かりやすい。人間が肉片になって木々にぶら下がり、四肢が千切れ、はらわたが飛び出る。放置された死体は膨れ上がり蠅の餌食になる。まさに地獄である。2025/03/10