内容説明
戦争は遠い過去ではない―「敗軍の将兵を語らず」の戒めを守って五十余年、長い沈黙を破って、初めて自らの戦いを赤裸々に綴った回想記。圧倒的な米軍の制圧下、若き指揮官は死闘の海で、どう決断し、また乗員たちを統率して対処し、勝利をかち得たのか。船団護衛における苛酷な海戦の実相を伝える感動の戦記。
目次
第1部 「ヒ八八J」船団と「天津風」(無敵海軍の内情;開戦;捷一号作戦;礼号作戦;ルソン島失陥;「天津風」駆逐艦長;「天津風」の奮戦)
第2部 泗礁山部隊(泗礁山部隊指揮官;戦備;終戦;武装解除)
著者等紹介
森田友幸[モリタトモユキ]
1920年3月、福岡県大牟田市に生まれる。1937年4月、海軍兵学校入校、1940年8月、卒業(第68期)。同年10月、艦隊配乗。巡洋艦「摩耶」「鳥海」乗り組み。1941年12月、太平洋戦争勃発。「鳥海」、駆逐艦「芙蓉」「霞」水雷長として各方面作戦に従事。1945年2月、「天津風」駆逐艦長。同年5月、支那方面泗礁山部隊指揮官。1946年3月、引き揚げ、復員
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感想・レビュー
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スー
19
8雷撃を受け艦橋から艦首部分を失い漂流しているところを救助され修理中の駆逐艦天津風の艦長に任命された25歳の筆者の終戦までの体験記です。筆者は対潜対空訓練を受けておらず雷撃戦重視の上層部への批判をしており更に中にはソナーを装備してない艦もあり徒手空拳で戦場に送り出されたとしています。仮修理がなった天津風は砲撃指揮装置もなくソナーも無い状態で船団護衛に同行させられ奮戦するも船団は壊滅し自身は大破座礁し自沈して陸戦隊となり終戦を迎えます。対潜に関しては米軍は同盟国英国のお陰で実戦経験が無くてもアップデート2024/03/07
白義
13
若干25歳、日本海軍史上最年少で艦長となった著者による苛烈な末期戦の記録。末期の海上護衛という、華やかな海戦とはかけはなれた、しかし過酷で重要な任務を任された著者の冷静さは、見事なもので、船団壊滅の悲劇に見まわれながらも、地獄の空襲をくぐり抜け生き残ったことからもそれがよく分かる。また、対空、対潜軽視という日本海軍への厳しい批判も相まって、当時からさぞ秀才肌だったことを感じさせる。第二部では天津風を降りて以降の、中国大陸での支援任務の様子が描かれている。海賊王宝龍との交渉という話もありこちらも滅法面白い2014/05/14
Mikarin
5
艦隊決戦にこだわり、船団護衛や対潜作戦を軽視してきた結果、敵の潜水艦のなすがままになり資源輸送ができなくなるまでを書いている。 現場レベルでのどうしようもなさが伝わってくる。 他方、海の武士道とは全く異なる米軍側の残虐ぶりも考えさせられる。2016/05/08
yamu
5
25歳にして駆逐艦、天津風の艦長になった著者の就任から戦後帰国までの記録。戦局不利の中での輸送作戦がいかに難しいものなのかを考えさせられる。後半の中国での任務も興味深い。2014/09/14
うすちゃ屋
2
大本営の『楽天的状況判断』『日和見的施策』『泥縄的対策』に、帳尻合わせを付き付けられる、現場の苦労が、とつとつと書かれてます。史実として、米軍との戦力格差が大き過ぎて、帳尻合いません。大変、とても大変。そんな大変な歴史を経験しましたけど、現代の日本の政治も相変わらず、楽天的で日和見的で泥縄ですよね。財政再建に向けて、民間の負担がどの程度のなのかが、具体的に提示されないうちは、企業は内部保留を出せないよ。あ、現政権の与党先生方も、戦後生まれだから、当時の苦労なんか判らないか。自〇には辛口でヨシ。2015/01/11
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