内容説明
昭和二十年四月、沖縄が決戦場となり、陸海全軍特攻の嵐が吹き荒れる只中で、強固な信念のもとに正攻法を採り続けた日本海軍芙蓉部隊。夜襲戦法を発案した指導官美濃部少佐と隊員たちは、不利な戦況をいかに戦い抜いたのか―戦場を熟知する搭乗員と整備員たちが結集し、熾烈な沖縄戦に挑んだ最後の戦いを描く。
目次
1 フィリピン脱出
2 芙蓉部隊の誕生
3 出陣に至る
4 沖縄決戦、開始
5 激戦奮闘
6 秘密基地・岩川
7 戦いの果てに
著者等紹介
渡辺洋二[ワタナベヨウジ]
昭和25(1950)年、名古屋市生まれ。立教大学文学部卒業後、航空雑誌の編集者を経て、現在、航空史の研究・調査を続けている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Y2K☮
38
真の意味で特攻を否定していいのは彼らだけかもしれない(若い人たちに特攻を命令して自分は生き残った一部軍人への批判は別だが)。頭と身体を極限まで駆使し、勇敢に大国と戦った人々への敬意と戦争そのものへの人道的批判も又別の話。彼らを支える整備員の仕事の過酷さにも瞠目。離着陸時の事故で亡くなる事もあるのだ。そして思う。侵略戦争に荷担しない、自分の国は自分で守る。そんな当たり前の事を当たり前にやる責任が彼らのお蔭で平和な時代を生きる我々にはあるのでは、と。優しさと厳しさ、どちらにも偏らない姿勢を美濃部少佐に学ぼう。2019/01/22
黒瀬
23
特攻断固拒否に加え、高性能ながら不慣れな液冷エンジン及び凝った設計のため稼働率の低さに悩まされていた艦上爆撃機、彗星を積極的に使用した異色中の異色集団である「芙蓉部隊」に焦点を当てた膨大な記録簿ともいえる著作。若くして千人を超える部下の命を預かる美濃部少佐の苦労を垣間見ることが出来る。美濃部少佐のような人が上層部に多く居れば・・・と思わずにはいられない。2018/09/08
yamatoshiuruhashi
23
徒な特攻を拒否し夜間の「攻撃」に徹した芙蓉部隊の発足から最後の戦いまでの詳細な物語。美濃部少佐は決して特攻を全否定したのではなく軍人として必死の覚悟での攻撃を追及していた。特攻で亡くなった人々がその精神、行動において否定しているのではない。自らは前線に出ることなく安全地帯から空疎な言葉だけで有為の若者を死地へ赴かせ責任を取らなかった幕僚、指揮官らへの怒りを筆に込めて著者は一冊を綴っている。戦闘記録を中心とした本書を読まれる方には、美濃部少佐の人となりを描いた石川真理子著「五月の蛍」も是非お勧めしたい。2017/01/23
とろとろ
23
特攻を作戦とせず、あくまでも本来の艦上攻撃機による夜襲を貫いた第153航空隊(通称芙蓉部隊)の話。(部隊の中には特攻を主作戦とする部隊も編成されていたようだが……)。たかが一人の少佐が、こんな権限を持ち全軍とは違う作戦を遂行していくなんて変。そういえば、二二六事件も主犯は一人の大尉じゃなかったっけ?。軍隊とは不思議な組織じゃ。2015/08/08
さすらいの雑魚
19
美濃部正は愛知県民。戦国の昔から名将は愛知の銘産。夜襲隊結成のための美濃部の奮闘が なろう系内政物みたいで良き。沖縄戦で無責任に特攻を命ずる軍令部の参謀に抗命罪覚悟で反論し特攻を拒否。からの芙蓉隊を率いて大活躍、天四号作戦では主力とされ獅子奮迅ってとこが本作の白眉。この特攻拒否が本作の看板だが、特攻が初めて作戦となったフィリピン戦より早いマリアナ沖海戦時点で美濃部が独自に特攻作戦を立案し実行を試みたのは本書外からの情報だがどうも事実。 乾坤一擲の あ号作戦を成功させ戦争に勝つ為なら特攻も使う。戦鬼である。2021/03/25