内容説明
航空自立に自らの才能と情熱を燃やし、性能向上にすべてを賭けた若き設計技師堀越二郎―不世出の名機・零式艦上戦闘機を生み出し、世界最高水準に到ったエンジニアが、その工夫と努力の道程と知られざる大戦中の変遷を描く感動作。数多くの証言と海外の文献をも網羅して日本の宿命の戦闘機の真実をとらえる。
目次
第1章 航空自立の決断(入社五年の設計主任;日本人ばなれの思考 ほか)
第2章 日本の宿命の戦闘機(ここに経営者あり;私の性分 ほか)
第3章 壮烈な生涯(優位の条件;太平洋戦争の主役 ほか)
第4章 零戦の素顔(設計者がみた弱点;十二試艦戦までの道程 ほか)
第5章 戦火は彼方に(超音速機の時代に蘇る;零戦の恩恵 ほか)
著者等紹介
堀越二郎[ホリコシジロウ]
明治36年、群馬県に生まれる。東大航空学科卒業後、三菱重工名古屋航空機製作所に勤務。九試単戦、九六艦戦、雷電、烈風などの海軍戦闘機の設計主任も務めた。戦後、三菱重工参与・技術部次長兼名古屋航空機製作所技師長、東大講師、防衛大教授、日本航空工業会顧問などを歴任。戦後初の国産旅客機YS11の設計に参加した。工学博士。昭和57年1月歿(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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イプシロン
37
堀越次郎・奥宮正武『零戦』を読んで起こった、なぜ堀越は総合観を持てたのか? という疑問を氷塊させようと本棚から引き出した一冊。答えらしきものはあった。堀越は幼少期に文学少年であり、歴史ものを読み漁っていた、と。歴史の大局を眺め、自分がこの場面でこの人物だったならどうしただろう? ということを、常識の枠を破りながら自分の頭で考えるということをやってきたからなのだろう。またそれと矛盾するような技術者魂というのも本書から強く感じた。口下手でシャイ、ともすると近寄りづらい天才肌、あるいは奇人という雰囲気――2019/08/20
Miyoshi Hirotaka
8
国産戦闘機の試作は1932年。それまでの10年、模倣に終始していたので、世界の航空技術界からはノーマークだった。1937~38年には機体設計でイノベーションが起き、世界最高水準に達した。偶然がもたらした機会と努力により生まれた強みは、軍の縄張り争いと業界の便乗により希薄化した。設備、資材や技術者は分散され、後継機種や性能の向上の絞り込みという選択と集中が妨げられた。戦争の長期化により、後進産業に立脚していた航空工業の弱みが露呈し、米国の開発力、生産力、補給力という脅威と重なり、数多くの悲劇が生まれた。2013/09/19
ymazda1
5
確立された技術を組合せて、可能なかぎりニーズに近づけていく、リーダー的な工学者という典型的な実際家・・・そんな堀越二郎の人物像が強く伝わってくる本・・・そう思うと、『風立ちぬ』の堀越二郎らしからぬ堀越二郎に対しては、一周まわって、いちばん美化してはならないものを美化しているようにも感じられて・・・あと、試作段階のフラッターによる死亡事故の話は、調べたら、タコマナローズの吊橋のフラッターによる崩落とほぼ重なってて、未解明な現象って、現代も含め、いつの時代にも存在してるんだろうなって、あらためて思った。
Ted
4
'95年6月(底本'63-64連載)刊。△自画自賛。2024/04/12
ながぐつ
3
知人に借りた本の消化。海軍の航空機の国産化計画によって日本の航空技術は大きな発展を遂げ、九六式艦戦から零戦へと繋がり、欧米の模倣から欧米の航空機の技術力を超すまでに成長した事が分かった。そして、零戦も、当時の傑作機と評されるものなのだと改めて思ったが、その一方で日本の総力戦機構の至らなさというか国力によって後継機の開発に失敗した事で零戦に対し、さらなる続投、つまりは戦場において旧式化した機体とならざるを得なかった事が惜しまれると思う。そしてまた防弾はそもそも要求されていなかった事も改めて知ることとなった。2020/03/11
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