出版社内容情報
運命に翻弄された日本兵の無念! 洋上の孤島で〝太平洋の防波堤〟となって戦いつづけた栗林忠道師団長指揮下の日本兵の墓碑銘。歴戦の下士官が綴った最前線の実相を描く。
アメリカ軍の硫黄島殲滅作戦とは、どのように行なわれたのか──日本軍戦死者約22000人、米軍戦死者約6800人。南北八キロ、東西六キロ、東京品川区とほぼ同じ面積の島嶼で繰りひろげられた栗林兵団と米海兵隊との凄絶な肉弾戦の一端を、奇蹟の生還を遂げた一日本兵がヴィヴィッドに伝える驚愕の戦闘報告。
内容説明
アメリカ軍の硫黄島殲滅作戦とは、どのように行なわれたのか。日本軍戦死者約二二〇〇〇人、米軍戦死者約六八〇〇人。南北八キロ、東西六キロ、東京品川区とほぼ同じ面積の島嶼で繰りひろげられた栗林兵団と米海兵隊との凄絶な肉弾戦の一端を、奇蹟の生還を遂げた一日本兵がヴィヴィッドに伝える驚愕の戦闘報告。
目次
第一章 運命の征途(出帆のとき;輸送船海没 ほか)
第二章 玉砕の戦場(硫黄島上陸;粗悪食事の実態 ほか)
第三章 最後の抗戦(稲田中尉との別れ;とりつかなかった死神 ほか)
第四章 捕虜の汚名(出壕の日;虜囚の第一歩 ほか)
第五章 故郷の山河(かき立てられた望郷の念;故国に帰る日 ほか)
著者等紹介
川相昌一[カワイショウイチ]
大正7年3月、広島県に生まれる。御野高等小学校卒業後、大阪の夜学で4年学ぶ。昭和14年1月、福山歩兵41聯隊に現役兵として入営。小銃班に入隊し、1ヵ月後に軽機関銃を修業。4月終わりに補充要因として北京の41聯隊に派遣される。6月、聯隊通信に転属、通信隊員となる。以来、無線通信兵として4年間、北支、南支、仏印、中支を転戦。浙〓作戦を終え、昭和17年12月末に満期除隊。昭和19年3月、再召集され、西部第九部隊(師団通信隊)に入隊。同年8月、硫黄島に赴く。陸軍軍曹。昭和20年5月、米軍に捕われの身となり、コネリー収容所で虜囚生活を送る。昭和21年1月、帰還。昭和45年2月を初めとして平成14年6月まで、硫黄島へ遺骨調査慰霊のため20回以上渡島する(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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