内容説明
最強ゼロファイター空戦記!。敵機大小87機を撃墜し、ゼロファイターのトップに躍り出た長身、白皙の偉丈夫。エース西澤の戦いの航跡と、磊落、剛胆、細心の心の葛藤を描き切った零戦空戦記録。燃えつきた24歳10ヵ月の生涯。
目次
第1章 南太平洋の海(不時着水;回想;大空への憧れ;海軍飛行予科練習生;下宿;空に舞う;艦上戦闘機;髀肉の嘆;開戦;ラバウル進出と初撃墜;零戦と「空の要塞」;最前線基地ラエ;台南空の猛者たち)
第2章 死闘の航空戦(生還;一騎当千;散りゆく桜たち;編隊宙返り;ラエ上空の攻防;「空の要塞」何するものぞ)
第3章 反攻の狼煙(ガダルカナルの攻防;消耗と疲弊の日々;再起を帰して;捲土重来;再びラバウルで:百戦錬磨;海軍報道班員吉田さん)
第4章 積乱雲の彼方(死力の果てに;内地の土;北の守り、北千島へ;特攻敷島隊を見届けて;エースの最期)
著者等紹介
武田信行[タケダノブユキ]
昭和14年、兵庫県西宮市に生まれる。島根県立松江高等学校、同志社大学文学部英文学科を経て、兵庫県立高等学校教諭を平成14年まで勤める。兵庫県三木市在住(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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スー
11
ラバウルの魔王と呼ばれた西澤廣義です。訓練を受けサイパンからラバウル、ラエに進出しポートモレスビーの攻撃に参加、ガダルカナルの戦いに出撃してラバウル航空隊のもっと激しい戦いを経験し、最初の神風特別攻撃隊の敷島隊を守り戦果を確認その後、輸送機で移動中に戦死する。ラバウルも当初は歴戦の猛者達に恵まれ余裕があったが、次第に回復力に優れたアメリカ軍に押され始める。次々と仲間達が帰って来なくなるのは読んでいてとても辛い。本国から遠く離れ補給もままならないのに貴重な零戦を海に不時着させるなんて信じられん。2017/08/14
Thomas51
3
最強撃墜王 零戦トップエースで「ラバウルの魔王」と呼ばれた西澤廣義の生涯。 西澤と並び称される零戦トップエースの坂井三郎氏の戦闘記録が、ラバウルの第一次進出時でほぼ終わっているのに対し、3期下の西澤の戦闘記録は、連合艦隊司令長官 山本五十六大将 直々の指令である「い」号作戦発令のもと、二五一空隊に再編され、益々激化するラバウルの第二次進出からその本領を発揮する。 公式には87機、非公式では120機を撃墜したという実績の大半は、このラバウルでの第二次交戦で作り出されたものだったようである。撃墜した戦闘2013/06/15
もぐもぐ
2
この西澤さん、近くの村出身の人でした。先日鹿屋基地の史料館の方も西澤さんのことをご存じでした。 淡い恋心や飛行中のおトイレの話なんかは微笑ましく読めましたが、激戦地で未帰還となる人の名前がどんどん出てきたり、海軍の特攻1号の関大尉の出撃前の様子や、西澤さんがその戦果を見届けるシーンや西澤さんの最期には涙が出ました。大切な人が、沢山失われてしまったんですね。2016/09/27
Sae
1
「大空のサムライ」の後で読んで、当たり前ながら、坂井三郎氏とは随分違うなと思った。坂井さんがラバウルから内地に戻る頃にマラリアにかかって入院していたとか、当時、ラバウル方面ではマラリアやデング熱にかかる搭乗員が多かったというのも知らなかった事実。撃墜数が多くなる要因は、どの時期にどこにいたか、なおかつ、どういう時期に入院や体調不良で戦闘から離れていたかが大きいと思った。それにしても、多くの搭乗員が体調不良を押して戦闘に参加し、帰ってこれなかったのは本当に残念。2013/09/26
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