出版社内容情報
幕末に藩主を務めた板倉勝静は、最後の将軍徳川慶喜の側近として大政奉還を実現させ、その後の戊辰戦争では徹底抗戦の態度をとり、箱館まで転戦する。勝静が抜擢した儒家・山田方谷の下には、彼を慕って、長岡藩家老の河井継之助や、長州藩の久坂玄瑞などが備中松山藩を訪れている。彼の門からは二松学舎を立ち上げた三島中洲など優れた人物が出た。備中松山城は、山城として唯一天守が残っていることで有名だが、近年では猫城主さんじゅーろーも話題となっている。
現在の岡山県高梁市を拠点とした藩の歴史秘話が満載!
内容説明
“至誠惻怛”まごころと他者をいたみ悲しむ心。自らの力で富国を目指した備中国の雄豪の気質が、白刃のごとき人材を生む。多くの試練も深い智慧と心意気で乗り越え、敗者となるもその誠心は現代まで貫かれる。
目次
プロローグ 備中松山藩物語
第1章 備中国奉行の支配と備中松山藩の始まり―豊臣大名が集う中国地方、その中心に備中松山があった。
第2章 備中松山藩の発展と安定―備中松山藩を名実ともに完成させた水谷氏。その栄枯盛衰を見ていく。
第3章 幕末の備中松山藩―江戸時代中期から幕末まで備中松山藩を治めた板倉氏激動の藩政を見る。
第4章 名君と賢臣―板倉勝静と山田方谷―幕末、備中松山藩が最後の光彩を放つ。
第5章 備中松山藩と幕末維新の動乱―藩政改革の成功をよそに、日本の幕末維新の動乱は備中松山藩を飲み込む。
エピローグ 備中松山藩の終焉
著者等紹介
加古一朗[カコイチロウ]
昭和45年(1970)、北海道千歳市生まれ。岡山大学文学部史学科卒。元高梁市歴史美術館主任学芸員。平成6年(1994)4月、高梁市教育委員会に勤務。平成9年4月より高梁市歴史美術館学芸員として勤務し、展覧会事業などに従事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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