内容説明
なぜ、それは“テロ”と呼ばれるのか?ガンディーもマンデラもかつては“テロリスト”と呼ばれた。「テロ」という言葉はわれわれをどこへ導くのか?多様化し混迷する正義の行方を、評論・映画・小説・マンガを網羅しながら読み解く“暴力のリテラシー論”。
目次
プロローグ ガンディーもゲバラもマンデラも皆テロリストだった
第1章 テロリストとは誰か
第2章 国家テロvs.自由の戦士
第3章 正しいテロリストは存在するか
第4章 「対テロ戦争」というテロ
第5章 誰がテロを支援しているのか
第6章 テロリズムから日本を読み解く
第7章 自爆攻撃とカミカゼの狭間で
第8章 メディアとテロが手を結ぶとき
終章 「死にがい」としてのテロリズム
“彼ら”ではなく“われわれ”の問題だ―エピローグに代えて
著者等紹介
真鍋厚[マナベアツシ]
1979年、奈良県生まれ。大阪芸術大学大学院芸術制作研究科修士課程修了。評論家、著述家。出版社に勤務する傍ら評論活動を行っている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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crpsclr
5
2016年第1刷。「『テロ』の正当化や安易な国家批判ではなく、『テロ』をめぐる従来の言説や受け取り方に再考を迫る」(17)書。テロリストとは「蔑称」(21)であり、「自称ではなく他称」であるという明快な定義付けから、この単語にまつわる修辞・表象・歴史を考証。「単純な二分法は現実を無視した発想」(106)とし、「だから正解などは存在しない」とする著者は真摯なリアリストだ。日本社会における「応報の絶対性」(107-10)や、「国民のショック状態を利用して不利な政策決定が行われる」(238)仕組みの分析が鋭い。2016/02/17
K.C.
0
人はさまざまな帰属意識を持っていて、その1つ1つの振れ幅がアナログのメーターのように大きかった時代から、帰属意識を持つ数が減っていき、しかも振れ幅がメーターではなく、信号のように二極分化。その産物として一つの母集団の中から、少ないが一定数の「テロリスト」と呼ばれる人が生まれてくる。テロリストという言葉だって、主観が込められたもので、本人は決してそう思っていない。単一の帰属意識の一方に、過程はどうあれ純化していった結果に過ぎない。美化するつもりはないが、寛容さがなくなった時代になっているということだろう。2016/06/04