内容説明
絶望の孤児たちにさしのべられた、日本からのやさしい奇跡。時は第1次世界大戦後の混乱期。日波友好の源となった歴史感動秘話。
目次
人道の港
日本とポーランド
シベリア流浪
孤児救済
極東青年と野口芳雄
ポーランド消滅
地下水道の戦い
残照
著者等紹介
山田邦紀[ヤマダクニキ]
1945年福井県敦賀市生まれ。早稲田大学文学部仏文科卒業。夕刊紙『日刊ゲンダイ』編集部記者として三十年間にわたって活動、現在はフリー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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香菜子(かなこ・Kanako)
38
ポーランド孤児・「桜咲く国」がつないだ765人の命。山田邦紀先生。第1次世界大戦後に日本が当時のポーランド孤児に救いの手を差し伸べていただなんて知りませんでした。このような孤児を生み出す戦争は絶対になくさなくてはいけません。2018/12/11
Cinejazz
5
『また, 桜の国で』(須賀しのぶ 著) を読み、1920年~22年の日本のポ-ランド孤児救済の経緯を辿ってみた。▷日本政府・外務省はポーランドを追われたシベリア孤児の存在に深い同情を示すも、日本軍のシベリア出兵による戦費捻出に喘いでおり、孤児救済の予算的余裕がなかった。▷シベリア出兵に対する内外の批判をかわすため、日本赤十字社に救援事業を委嘱した。▷コルベ神父が長崎で布教のため来日(1930年~36年)したきっかけは、ポ-ランド孤児救済の報恩にあった。▷元孤児たちは、ナチス占領軍と果敢に戦っている。 2020/06/30
紫
3
日波関係を通して理解するポーランド近現代史。前半を占めるポーランド孤児救済事業は窓口のような扱いでして、重点が置かれているのは第二次世界大戦前夜の日本外交にナチスドイツ占領下から冷戦時代にかけてのポーランドの過酷な歴史であります。千人に満たない孤児を救済するだけでも大事業なのに数十万単位でぽんぽん人の命が奪われていく戦争というものの理不尽さ。感動的な「心温まるいいお話」を期待すると重い。それにしても、この種の出版物ではさんざんな悪評ばかりの松岡洋右外相とは。好意的に書いてある本を読んだことない…。星5つ。2018/04/27
トリニト
2
日本がポーランド孤児を救出したことだけでなく、ポーランドの20世紀初頭の歴史についても学べる良い本。イエジが死ぬんじゃないかとハラハラしながら読んだ。何百人救うのに大変な苦労をするそばで、あっというまに何十万人殺されいく。戦争とは本当に残酷だ。2013/04/16
inarix
1
なぜ、ポーランドから遠く離れたシベリアに多くの孤児が取り残される事態となったのか。なぜ、孤児たちは日本赤十字社の手にゆだねられたのか。 日本で保護され、祖国へと帰った孤児たちを待ち受けていた数奇な運命を主軸に、ポーランドとその周辺国の近代史を交えて記す歴史秘話。2013/08/04