内容説明
「ヴェネツィアとシャモニーは、私にとってこの地上における二つの目的地だ」。ジョン・ラスキンがシャモニーを初めて訪れたのは14歳のとき。以後、生涯にわたり幾度となくシャモニーに足を運び、山の美と神秘を追究し続けた。近代登山の誕生した時代、「美の先導者」はどのように山と生き、山を理解したか。ラスキンとシャモニーと山という歴史全体を遡り、ラスキンの知られざる「生」を再発見する。
目次
第1部 山の発見へ(一八二三‐一八三五年)(青い山々;あそこに、エギーユが!(一八三三年)
とどまれ、とどまれ、そして眺めよ、あれはシャモニーだから!(一八三五年))
第2部 ソシュール、ターナー、クーテットを道案内として(一八四二‐一八四四年)(私がしたい仕事…(一八四一‐一八四二年)
夜明けに孤立した山の頂上に立ち給え…(一八四三年) ほか)
第3部 ヴェネツィアとシャモニーのあいだ…(一八四五‐一八五六年)(私の本当の国…(一八四五‐一八四六年)
シャモニーでは革命はなかった(一八四七‐一八四九年) ほか)
第4部 失われ、見出されたシャモニー(一八五六‐一八八八年)(シャモニーは完全に汚染された(一八五六‐一八六五年)
アルパイン・クラブの紳士たち…(一八六五年) ほか)
著者等紹介
エラール,アンドレ[エラール,アンドレ][H´elard,Andr´e]
1939年11月30日、フランスのモルレー(フィニステール県)に生まれる。古典文学の教授資格を持つ。1974~99年、レンヌのリセ・シャトーブリアンのグラン・ゼコール準備クラスでフランス文学、ラテン語、ギリシア語を教える。ドレフュス事件の研究者でもある
秋山康男[アキヤマヤスオ]
1954年、東京大学法学部卒、朝日新聞社入社。1963~73年にかけてパリ、カンボジア、ジュネーヴ駐在。出版編集委員を経て、英字季刊誌『ジャパン・クォータリー』編集長。1991年、朝日新聞文化財団常務理事から財団法人ラスキン文庫常務理事を経て、2002年同理事長。1997年、フランス文化省より芸術文化勲章オフィシエを受勲。2005年イギリス、ランカスター大学ラスキン計画名誉客員フェロー
大社貞子[オオコソサダコ]
福岡県生まれ。西南女学院専門学校英語科卒業。インドネシア国営石油会社(プルタミナ)東京代表部を定年退職後、翻訳の仕事を始める。東京ラスキン協会会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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