内容説明
法とは何か。法と道徳とは、どのように関係するのか。現代アメリカを代表する哲学者マーサ・ヌスバウムが、法の感情的な起源を探り、真にリベラルな社会とは何か、そのような社会を支える法とは何かを根源的に問う。
目次
第1章 感情と法
第2章 嫌悪感と私たちの動物的身体
第3章 嫌悪感と法
第4章 顔への刻印―恥辱とスティグマ
第5章 市民を恥じ入らせること?
第6章 恥辱から市民を守る
第7章 隠すことなきリベラリズム?
著者等紹介
ヌスバウム,マーサ[ヌスバウム,マーサ][Nussbaum,Martha C.]
シカゴ大学法学部教授。1947年生まれ。ハーヴァード大学にて文学修士、哲学博士(Ph.D.)取得。1986~93年世界開発経済研究所リサーチアドヴァイザー、ブラウン大学を経て、現職
河野哲也[コウノテツヤ]
立教大学文学部教育学科教授。1963年生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程哲学専攻修了。博士(哲学)。国立特殊教育総合研究所(旧称、現在は国立特別支援教育総合研究所)特別研究員、防衛大学校、玉川大学を経て、2008年より現職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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- 評価
京都と医療と人権の本棚
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
うえ
6
「エツィオーニの考え方は…粗相をした犬に嫌な経験をさせ、それによって犬に用便の躾をする、というのと同じである」「恥辱についての私の分析は、実証データや社会心理学的データを基にしているのだが、それだけでなくさらに、精神分析の資料を特に引き合いに出している。精神分析に対し、多くの人々はさほど高く評価していない」政治的リベラリズムと精神分析なら、人は全く恐怖感や嫌な経験を排除し、「人間になること」ができるだろう。そんな超人化的な考え方が異常とみなされなくなったのは、いつからなのだろうかねぇ。それが問題だ。2017/04/28
わたる
1
読書会で読んだ本。リベラリズムの観点で法の根拠となる”感情”を探る。 ”感情”は全ての個人を傷つけないことを標榜するときの起点なのだ。著者は「嫌悪感」と「恥辱」を吟味する。 結論から言うと「嫌悪感」は法の基礎にならず、我々は「恥辱を与えないこと」を法の基礎にするべきである。 嫌悪感というのは共同体外に向けた批難の眼差しであり多元よりも共同体の価値に重きをおく。例えば同性愛者が危害を及ぼしてない時に嫌悪感で罰するのは良くない。だから嫌悪感よりは危険や怒りの方が罰の起点としては正しい <コメントへ続く>2025/09/13
げんさん
1
人間の平等を侵害するものへの怒り、そして、他者への共感。これらの感情こそが法の基盤となるにふさわしい2021/05/09
ぐっさん
1
感情と法の関係について論じた法哲学の本だが、感情にも怒り、嫌悪感、恥などいろいろあり、法の根拠とする上で適切な感情は何か。なぜ適切であると考えるのかが述べられている。2020/05/16
Watarun
1
今年読んだ本のなかで一番興味深い内容だった。嫌悪感や恥辱を刑罰に用いることについて、著者は警鐘を鳴らしている。嫌悪感は、動物性を感じさせる人間の脆弱性・死の恐怖から来るとしている。その恐怖のはけ口として、女性差別、同性愛差別、人種差別が起こる。嫌悪感や恥辱を刑罰の根拠として用いるならば、一般に「正常」とされる多数が、「正常」の価値観から外れたとされる異なる少数派を攻撃する危険性を述べている。また、意見の自由性を認めつつも、他者の人格の尊厳を傷つけるヘイトスピーチなどには疑問を呈している。2012/07/01