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バブル文化論―“ポスト戦後”としての一九八〇年代

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  • サイズ B6判/ページ数 268p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784766412864
  • NDC分類 361.5
  • Cコード C0036

内容説明

「一九八〇年代」を語る際に、いわゆるニューアカなどの「知のモード」の影響が過度に重視される傾向があるが、八〇年代の特異性は、むしろ、“戦後”を真に脱却しつつあったこの時代の混沌のエネルギーが抑圧から解放され花開いた“バブル文化”(ストリート文化、大衆文化)にこそ見出される。本書では、一九八四年~八六年の間に、日本社会が“バブル文化”期に移行するとのテーゼのもと、その前/後の政治・経済状況にも目を配り、いまだ語られずにいる「八〇年代」の特殊性を浮き彫りにする。

目次

序章 超越の消失―一九八〇年代の歴史的位相
第1章 原宿―「八〇年代」若者の祝祭空間
第2章 “バブル文化”の予兆―「八〇年代」若者の編成
第3章 「いまは、ココ!」の闘い―八〇年代の“中心と周縁”
第4章 “バブル文化”のしあわせ探し―「おたく」と「渋カジ」の分水嶺
第5章 ドラマの変貌―都市のBGM,街の語り
第6章 「楽しくなければ、テレビじゃない!」―とんねるずとフジテレビの時代
終章 抑圧からの解放―“戦後の終わり”としての八〇年代

著者等紹介

原宏之[ハラヒロユキ]
明治学院大学教養教育センター助教授。1969年生まれ。パリ第10大学人文科群博士課程中退。学術修士。日本学術振興会特別研究員(東京大学)・東洋大学等非常勤講師(2001‐2002)を経て、明治学院大学専任講師(2002年)。2005年より現職。専攻は、教養(表象メディア論・言語態分析)および比較思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。

ハチアカデミー

10
1983年生まれの世代、つまりバブルを知らない世代と知る世代の一番の違いはマスという最大公約数的な視点があるかないかの違いなのではないかと感じさせられる。細分化されたジャンルの中で戯れてきた自分にとって、自分の生きた時代の文化に正史があるとはとうてい思えず、それを共感し会える人とであうことは、たまたま相手もそうであったということにすぎない、と思えてしまう。この手法で90年代を描けるか、という疑問も残る。が、自分の知らない80年代の世相を知るにはうってつけの一冊であった。浅田のパロディ感も80年代的。2014/05/27

コウみん

1
日本にとってあの時代は一体、何だったか。派手な時代でもなかったバブル時代に日本人は何に盛り上がっていたか。 最近、バブル時代をネタにするお笑い芸人とかcmだったり、まだ日本人たちはあの時を忘れていないと思う。そして、あの時を知らない世代もあの時に興味を持ち始めた。2017/05/27

hiratax

1
(20060720)サブカル論なんだが、壮絶なのは著者あとがき。30代で末期がんを告知されるが生き返る過程で本書が書き上げられたとも。本は著者の生き写しだよな、と。これがアウラ。2006/07/20

wm_09

1
プラザ合意を挟んでの戦後とポスト戦後の亀裂と、ポスト戦後の平板化された社会、消費社会それを当時の作者自身の経験と印象から分析している。単なる印象論を抜け出ていない感もあるが、歴史における断続と連続性から見てみると確かに80年代は考察に値する時代だろうから、オタクの面からだけではない80年代論は必要だと思います(ローウェル嬢)2011/01/29

粟谷佳司

1
自分の経験した80年代はこの本とはずいぶん異なる。文学には触れられていないからか。2010/01/02

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