キリスト教古典叢書<br> 神の国〈上〉

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キリスト教古典叢書
神の国〈上〉

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  • サイズ A5判/ページ数 789p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784764218079
  • NDC分類 132.1
  • Cコード C0316

内容説明

古代教会最大の思想家アウグスティヌスの代表作の一つであり、西欧の国家論・歴史哲学の形成に大きく寄与した記念碑的大著の全訳。上巻(第1巻‐第13巻)では、キリスト教への異教徒の非難に対する弁証論を中心に、世俗史である「地の国」の歴史を論じる。聖書への深い洞察と、ギリシャ哲学およびローマ帝国史に関する膨大な素養が生んだ名著!

目次

蛮族のローマ侵入の際、教会が避難所となった。キリスト教徒も災難にあったが、彼らにとってそれは究極の滅びとはならない。暴行を受けたキリスト者の女性が自殺することの可否
異教の神々によるローマ人の道徳的退廃。神々は演劇において卑猥な仕草を許容しただけではなく、それを要求した。その道徳的退廃は個人と社会の全領域に及んだ
神々はトロイアを守ることもローマを救うこともできなかった。ローマ史におけるその無力の諸事例
ローマは神々のおかげで拡大発展したのではない。個々の神々に対する批判的考察。キケロとウァロの宗教観
占星術によって運命を予知することはできない。自由意志と神の摂理について。かつてローマ人は領土を拡大したが、それは彼らの名誉欲と支配欲によるものであった。キリスト者皇帝に与えられる真の幸福とそのはたすべき義務について
ウァロの『人事と神事との故事来歴』の内容に対する批判をとおして、神話に登場したり、国家が公認している異教徒たちの神々なるものが、永遠の生命など付与しえないことを論ずる
ウァロの『人事と神事との故事来歴』第一六巻に述べられている「選ばれた神々」といえども、永遠の生命を付与しえない
プラトン主義者たちの神観に対する批判を、主としてアプレイウスの「妖鬼」(ダイモン)論の検討をとおして論ずる
異教徒たちのダイモンをキリスト教の天使と比較して、ダイモンが神と人間との真の仲介者たりえないことを論ずる
救済観を中心とするキリスト教とプラトン主義との比較、ならびに、主として『魂の帰天』にみられるポルフュリオスのキリスト教批判に対する反論〔ほか〕

著者等紹介

金子晴勇[カネコハルオ]
1932年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、岡山大学名誉教授、聖学院大学総合研究所名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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yuui02

5
ローマのキリスト教批判に反駁するために書かれた書。ローマの信仰する神々を悪霊だといって批判している。プラトン派については「プラトン派以上に我々に近いものはない」とも。神の国は神を信仰する人々、地の国は人を中心とする人々。キリスト教を信仰する人々は永遠の生を得られ、神を信じない人々は地獄行き。青年期マニ教に影響を受けたアウグスティヌスだけあって二元論的な部分も。アダムの罪が人類全体の罪になっていてそれをキリストが犠牲になることで人間を救ったのだと。キリスト教についてあまり知らなかったので勉強になりました。2014/06/06

てれまこし

1
読むのに骨が折れた。関心があった歴史哲学の部分はほんの一部分で、残りの多くは、キリスト教徒でなければ今となっては無駄であったであろう論争にしか思えない。まあ、無駄に思えても、こうやって西洋人は議論の技を極めていったのだな。これに対応する日本の古典などちょっと思いつかん。私にとっては、アウグスティヌスに攻撃されている異教の神々を祀る「卑猥」な儀式の描写が、民俗学的観点から面白く読めた。一神教は多神教より合理的なものととするアウグスティヌスの攻撃が、今日の科学主義者の宗教に対する攻撃と重なっていて興味深い。2017/05/28

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