出版社内容情報
沖縄が沖縄のままで、日本だと思える日は来るのだろうか?
1972年、「日本復帰」を果たした沖縄を、本当の意味で本土は受け入れてきただろうか――積年の心掛かりと向き合うべく、私は初めて沖縄の地に降り立った。
凄惨な沖縄戦の記憶、重くのしかかる米軍基地負担、そして、ふとした瞬間に心を閉ざす人々……かの地で感じた沖縄の現状から、「沖縄と本土」の未来を考える。
沖縄と本土がともにある社会を創造するために――
内容説明
沖縄が沖縄のままで、日本だと思える日は来るのだろうか?1972年、「日本復帰」を果たした沖縄を、本当の意味で本土は受け入れてきただろうか―積年の心掛かりと向き合うべく、私は初めて沖縄の地に降り立った。凄惨な沖縄戦の記憶、重くのしかかる米軍基地負担、そして、ふとした瞬間に心を閉ざす人々…かの地で感じた沖縄の現状から、「沖縄と本土」の未来を考える。沖縄と本土がともにある社会を創造するために。
目次
序章 わが生涯の悔い
第1章 平和の礎へ(「沖縄の心」とは;名を刻むということ;歴史と一個人の責任;沖縄は「寛容」か;二四万人の名前)
第2章 ひめゆり平和祈念資料館で(戦争は突然始まる;その朝、海は敵艦船で埋めつくされた;鉄血勤皇隊とひめゆり学徒隊;本当の戦場と少女たち)
第3章 嘉数高台で考える(普天間飛行場を望む;世界一危険な飛行場;沖縄返還と密約;「命どぅ宝」と阿波根昌鴻さん;「慣れる」ことと「耐える」こと)
第4章 やさしさとかすかな「拒否」(「本土臭」;琉球王国の歴史;琉球処分;サヨーナラ!)
第5章 旅の終わりに(戦後沖縄の苦難;宿題の答え;「沖縄の心」、ふたたび;沖縄にあって本土にないもの;川崎沖縄県人会;沖縄と本土が同じ地平に立つために)
著者等紹介
平尾彩子[ヒラオアヤコ]
1944年仙台市出身。津田塾大学大学院文学研究科修士(1969年)。ミズーリ大学大学院ジャーナリズム学科修士(1983年)。大学講師を経て、1984年よりフリーランスライターとして、PHP Intersect、Mainichi Daily News、Asahi Evening News、朝日新聞社国際配信部等に寄稿。株式会社ハーレクイン勤務ののち、現在、精神対話士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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