内容説明
多数決は万能…ではない。その限界と民主主義との関係を、根本から考える。多数決なら、どんなことを、どのように決めてもよいのか―重要法案の強行採決が頻発する国会は、「多数の専制」にほかならない。国民投票の示す「民意」は、時に独裁への信任投票に堕してしまう。先人の叡智から今こそ考えたい、民主主義と多数決の本質的関係。
目次
第1章 多数決と民主主義
第2章 議会政治における多数決
第3章 多数の支配か法の支配か
第4章 多数決の限界―人権保障
第5章 人民による多数決―直接民主主義
第6章 市民立法―政治参加の回路
著者等紹介
斎藤文男[サイトウフミオ]
1932年和歌山県生まれ。1956年京都大学法学部卒業、58年大阪市立大学大学院法学研究科修了。同法学部助手。1961年九州大学教養学部講師、助教授をへて同法学部教授、同大学院教授を併任。専攻は憲法学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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紫の煙
8
多数決は民主主義のルールか?民主主義の一つのルールではあるが、全てではない。多数支配ではなく、普遍的人権を侵してはならない。最終章では、地方議会にも触れているが、地方議会の話になるといつもながらレベルの低さに呆れてしまう。2023/01/19
乱読家 護る会支持!
5
哲学的な議論になりますが「問いには正解がない」と僕は考えます。しかし、なんらかの問いの答えを出さないと、人類は前には進めない。だから、どこかで答えを決定しないといけない。その決定の手段として、多数決があると考えます。 しかし、「問いには正解がない」のだから、人は何度でもやり直すことが出来ると、考えます。過去の決定であっても、何度でも再審議は出来る。今は、皆の考えは違っていても、将来はわからない。間違えていると思えることについては、何度でも異議をとなえることが出来る。それが、人の権利《=人権》と考えます。2021/09/27
としき
3
私たちは当たり前のように「多数決」という言葉を使っている。当然、議会制民主主義の日本においては多数決を持って政策が施されている。そこになんの疑問も持たず、それば当たり前だと認識している。著者は果たしてそうなのか?と疑問を呈している。このコロナ騒動の自粛警察警察やワクチンパスポートなるものは、それに逆らう少数派を多数派に合わせようと誘導する同調圧力をかけているのでは?これはまるで子供のいじめの構造と同じはないか。多様性(ダイバーシティー)が重視される今、多数決だけでは決められない時代がもうそこに来ている。2021/07/11
りーふ
2
「多数決は大数派と少数派の妥協」 議題の内容は考えずに、次の議題に進めるための多数決と考えれば、深く考えずにいいと思いました。2021/10/12
転天堂
1
多数決と多数支配との違い。多数意志と一般意志との違い。多数決でも侵害できない個人の人権。色々と示唆の多い本であった。法律論だけでなく、地方議会に働きかけて動かす悪戦苦闘ぶりも興味深かった。2021/12/22