内容説明
戦後初めて日本人画家として再入国を許可されてからフランスで生涯を過ごし、パリを愛し描いた荻須高徳。「最もフランス的な日本人」とシラク元大統領に評されたその傑出した人生を代表作と言葉で綴る待望の画文集。
著者等紹介
荻須高徳[オギスタカノリ]
1901年、愛知県稲沢市生まれ。新制作協会会員。東京美術学校西洋画科を1927年に卒業、その年9月に渡仏。翌年、サロン・ドートンヌ入選。のち同会員に推挙されフランスでの地位を確立したかに見えたが、1940年戦況悪化のため帰国を余儀なくされる。1948年、日本人画家として戦後初めてフランス入国を許可され再び渡仏。その後生涯にわたってパリで制作活動を行う。1956年、フランス政府よりシュヴァリエ・ド・ラ・レジオン・ドヌール勲章を授与される。1974年、パリ名誉市民となりフランス国立造幣局において肖像を浮彫にしたメダイユが発行され、後に同国大統領となるシラク・パリ市長(当時)に「最もフランス的な日本人」と評される。1986年、死去。同年、文化勲章授与。モンマルトル墓地に眠る(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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アキ
84
「生誕120年記念荻須高徳展-私のパリ、パリの私-」稲沢市荻須記念美術館に行った。油彩81点素描48点と、パリのアトリエを再現した部屋、パリの街角で絵筆をふるう姿の映像を楽しみました。1927年東京藝大卒業直後、パリに渡り、戦時中10年日本に帰国した以外、1986年までパリで過ごした。その画風は変わらず、対象は街と建物であった。1974年パリ名誉市民となり、シラク・パリ市長から「最もフランス的な日本人」と言われた。帰りに表紙の「オー・ボン・ヴィヴァン」を壁に掛けている近くのカフェで読書をして余韻に浸った。2021/12/22
春ドーナツ
13
手紙の草案。こんにちは。教えて頂いた遠藤彰子さんの「海暮れゆけばただ仄かなる」の制作過程をYouTubeで拝見しました。巨大なキャンバスに向かって書道小筆を揮う様は「浸食の愉悦」という言葉を想起させます。***荻須氏はパリの街並みを暖かみのあるタッチで描き続けた画家でした。お気に入りをご紹介します。「メルスリー(雑貨屋)」1929「果物屋」1930「サン・メダール通り」1932-33「モンマルトルの店」1935-36「バッサン・ドゥ・ラ・ヴィレット」1938「サン・ジェルマン・ロクセロワ、パリ」19492018/11/19
Romi@いつも心に太陽を!
8
動乱の時に在ろうとも、パリの街並みを愛し、そこに住まう人々を愛した。私も訪れたあの場所、もう今は亡き建造物たち。色合いが素晴らしいです。2011/03/30