内容説明
43日間も遺骸が放置された天皇がいた。21年間も即位式をしてもらえない天皇がいた。足利将軍家は頼りにならず、公家たちは地方へ逃げ出した…。戦国時代の天皇研究。
目次
第1章 困難に直面する戦国初期の天皇(足利義満の登場;義満の皇位簒奪計画はあったのか ほか)
第2章 四十三日間も葬儀ができなかった後土御門天皇(後花園、譲位する;応仁・文明の乱と後花園の死 ほか)
第3章 二十一年間も即位できなかった後柏原天皇(後柏原のこと;後柏原、後継者となる ほか)
第4章 官位を売る後奈良天皇(後奈良のこと;若き後奈良の教養 ほか)
第5章 天皇はなぜ生き残ったのか(天皇は貧乏だったのか;日常生活と儀式との間で ほか)
著者等紹介
渡邊大門[ワタナベダイモン]
1967年、神奈川県横浜市生まれ。1990年、関西学院大学文学部史学科卒業。2008年、佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)。現在、大阪観光大学観光学研究所客員研究員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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白河清風
17
主に応仁の乱以降在位した後土御門天皇、後柏原天皇、後奈良天皇についての記述だ。戦国時代は応仁の乱から始まり、足利幕府以上に天皇家の財政へダメージが決定的だった。その為、三天皇も死後其々43日、26日程、70日程遺骸が放置された。後柏原天皇の即位式も21年遅れた。後奈良天皇時代は官位を売って財源を確保するのが当たり前になった。それでも天皇家が存続できたのは、天皇があらゆる身分の頂点に立つ任免権者であり、天皇を追放して位階についてもその正当性を担保できないと言う事情を各武将は認識していたからだと筆者は言う。2021/09/20
軍縮地球市民shinshin
7
戦国時代前期・中期の四代の後花園、後土御門、後柏原、後奈良の天皇の事蹟を中心に、当時の皇室財政が如何に窮乏していたかを豊富な一次史料を元にして明らかにしている。また当時は室町幕府自体も影響力を低下させており、将軍も京都を追われることも度々であったので、軍事力を持たない天皇はその自らの「権威」によって身の安全を保っていたのだろう。現在もそうだが、最も費用がかかるのは朝廷の儀式であり当時も同様であった。貧乏とはいっても日常生活に困るほどではなかったらしい。そこが庶民とは大きな違い。つづく。2016/07/04
Tomozuki Kibe
5
応仁の乱から織田信長までの三人の天皇。タイトルにあるように天皇の財政のひっ迫ぶり。大名等に売官して数百万円で一喜一憂する体たらく(衣食住には事欠いてないらしいが)。さて売れるということは、買う側の地方大名としては他勢力を圧倒するつもりだろうが、当の相手には効いた気配がない。幕府が落ちた分朝廷が浮き上がったというほどでもない。それでも天皇が生き残れたのは、将軍位や年号等のあらゆる権威の任免権者である天皇をなくせば、後の権威の再構成が大変になるから、信長も家康もむしろ利用するにとどめた、ということらしい。2022/02/07
めぐみこ
3
後花園天皇から後奈良天皇、約130年の天皇と朝廷のあり方。正直、皇室が困窮しきって幕府と大名に振り回されてるイメージしかなかった時代だ。それも事実の一側面ではあったものの、後土御門天皇にはしたたかさを感じた。綸旨や錦御旗を巧みに使い存在感を示す姿が印象的だ。戦国大名がこぞって官位を貰いたがる事に、実際的な意味はあったのかと一石を投じているのも興味深い。本当に敵対陣営に対して影響がなかったのだとしたら、ただの自己満足に何千万も払ったことに…現代の庶民には理解できない世界だ。正親町天皇以降も読みたかった。2020/01/05
Mentyu
3
戦国時代の天皇は生活にも困窮する程貧乏だったという話はどこまで本当だったのか。その疑問に対して、現在の研究で到達した当時の天皇像がわかりやすくまとめられている。おもしろい話は色々あるが、中でも律令以来の官職体系を無視した売官で、それなりの収入を得ていたという話は興味深い。諸々の資金を集めるためには、先例主義の中でもプライドを捨ててそこまでやらなければならなかったというシビアな状況が思い浮かぶ。2017/02/06