目次
はじめに サンショウウオと禅
1章 サンショウウオの「ゆらり」―定まって、定まらず、定まらずして、定まる。(風流に生きる;宗教の現場と、言葉 ほか)
2章 サンショウウオの「てきぱき」―きっぱり決めて、てきぱき進む。(ふんどしの霊力;「喝」とソニックブーム ほか)
3章 サンショウウオの「どっしり」―時間も物語もない、サンショウウオの中の山椒魚。(木魚の置き場所;深追いしない ほか)
4章 サンショウウオの「ふふふん」―生命体として自足する鼻歌まじりの生き方。(鼻歌の功徳;李も桃も ほか)
5章 サンショウウオの「ひょん」―見尽くせない因果にこだわらず、縁起を生きる。(偶然や多様性の拒絶がもたらす「昏睡状態」;本屋さんは「ひとさらい」 ほか)
著者等紹介
玄侑宗久[ゲンユウソウキュウ]
昭和31年(1956)福島県三春町生まれ。慶応義塾大学文学部中国文学科卒業後、さまざまな仕事を経験する。その後、京都天龍寺専門道場に掛搭。現在、臨済宗妙心寺派福聚寺副住職。僧職のかたわら執筆活動を行い、デビュー作『水の舳先』が芥川賞候補作となる。平成13年『中陰の花』で同賞を受賞
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感想・レビュー
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積読亭くま吉(●´(エ)`●)
89
★★★☆本は何れも、読むにはタイミングが肝心。冒頭のサンショウウオにヤラレテ、図書館でぼとぼとと鼻を垂らした。端から真っ当な縛りじゃ無かった。緩む事は許し、ゆらぎさえ真実。そう理解していながら、長い時の中、いつの間に「ゆらぎ」が許せなくなっていた。お互いをきつく抱きしめる腕(かいな)の力に比例するように、私は私自身の想いに縛られていった。ほどこう、ゆるゆると揺れてたゆたいながら、ほどけて全て脱いでしまおう。放たれてこそ…。志垣太郎が若手として出てくるので随分以前の原稿かと思うが、そうでもない不思議な1冊2016/05/01
ビブリッサ
68
宗教を解説している本ではない。生き難い儘ならぬと感じる私を解放してくれる書だった。「幸せの天動説」「理性という名の妖怪」読んでいて涙が出そうになる。がんじがらめだと もがく自分の姿が滑稽に見えてくる。嗚呼、そうだ 今の自分の状況、なんと充たされていることだろう。充足過分になり、幸せのハードルを自分で上げていた。日本という宗教の雑居が許された稀有な場所で、心中に雑種の宗教を 心の汗をかきながら育てよう。幸福を感じるため私に必要なのは、福でも禄でも寿でもなく宇宙の中心に私が在る!その幸せな天動説だったんだ。2017/07/16
とも
49
オーディオブック。 いい感じで力が抜けていて、すっと入ってくる。 かたいイメージの禅をサンショウウオというイメージを通してユーモラスにひょうひょと、でも自然の中での厳しさや孤独等を感じさせながらも、受け流していく感じがよかった。2024/03/29
Tadashi_N
14
色んな宗教を回って禅に戻った2015/02/09
さっちも
9
エッセイなのだが、禅の心を下敷きに筆者が思いつくまま、あれや、これやを語っている。何か私の中でモヤモヤと心の中にわだかまっていた、悩みや考えや、世界観をこういうことでないのと提示してくれた感じがして、びっくりというか、かなりいい気分にさせてくれた。1話目は、宮澤賢二の「デクノボー」や辺見庸の「ゆで卵」の短編の一つ「フラミンゴ」を想起しながら読んだ。この人の本の中では抜群に良かった。それとも自分のステージがあがったのか。2016/05/12




