出版社内容情報
福岡県の同和教育運動の開拓者で、現在、ハンセン病家族訴訟原告団長の著者が、ハンセン病者である父を隠し続けた葛藤を綴る。福岡県の同和教育運動の開拓者で、現在、ハンセン病元患者家族国賠訴訟の原告団長である著者は、ハンセン病者である父を隠しつづけた過去をもつ。父への思いと差別への恐れの間で悩み、父を公表するまでの葛藤を赤裸々に綴る。
まえがき
? 父の発病、私の少年時代
窮境のなかでの発病
博多での長屋生活
「くされの子」と言われて
父の「出立」
夜逃げ
東京での短い生活
博多に舞い戻る
「父は死んだ」と答えて
「小島の春」の上映
父の帰宅の三日間
改姓
? 戦争、生死の境のなかで
入隊
末松軍曹のこと
非情な上官
敗戦で見たこと
? 教員、私の光と闇
復員
戦災孤児らとの格闘
父に会いに
面会所
初登校日のこと
「よか先生」
生活窮迫の子どもたち
早朝の校舎見回り
職員室の大火鉢を囲んで
「小学校のころは楽しかったなぁ」
夫婦げんかの仲裁
ピアノ泥棒
いまは哀しい「愛のムチ」
初恋無惨
別人になった父
プロミンの登場
全患協の結成
痛ましい事件
二度目の父の帰宅
立ちはだかった医者たち
母を連れて星塚に
? 父の死、私の告白
福岡市長選挙差別事件
すべての出発
ある打診
父の寺院建立の努力
父の死
父を語りはじめる
あとがき
林 力[ハヤシ チカラ]
1924(大正13)年、長崎県生まれ。福岡の小学校、高等学校教諭などを経て、2000年3月まで九州産業大学教授。その間、福岡県同和教育研究協議会会長、全国同和教育研究協議会副委員長などを歴任。そのほか九州大学などの非常勤講師を務めた。フィリピン国立ミンダナオ大学名誉博士。
現在、福岡県人権問題講師団講師、あらゆる差別をなくす福岡県民会議会長、福岡県人権研究所顧問、ヒューマンライツ福岡市民会議会長、国連NGO横浜国際人権センター理事、福岡県ハンセン病に学ぶ会世話人代表。
著書に『解放を問われつづけて』(明治図書出版、1974年刊)、『差別認識への序章』(あらき書店、1981年刊)、『若き教師たちへ―「同和」教育運動で学んだこと』(解放出版社、1988年刊)、『癩者の息子として』(明石書店、1988年刊)、『人権百話』(解放出版社、1993年刊)、『父からの手紙―再び「癩者」の息子として』(草風館、1997年刊)、『人権いろいろ話』(福岡県同和教育研究協議会、2001年刊)、『山中捨五郎記―宿業をこえて』(皓星社、2004年刊)、『人権50話』(解放出版社、2007…
目次
1 父の発病、私の少年時代(窮境のなかでの発病;博多での長屋生活 ほか)
2 戦争、生死の境のなかで(入隊;末松軍曹のこと ほか)
3 教員、私の光と闇(復員;戦災孤児らとの格闘 ほか)
4 父の死、私の告白(福岡市長選挙差別事件;すべての出発 ほか)
著者等紹介
林力[ハヤシチカラ]
1924(大正13)年、長崎県生まれ。福岡の小学校、高等学校教諭などを経て、2000年3月まで九州産業大学教授。その間、福岡県同和教育研究協議会会長、全国同和教育研究協議会副委員長などを歴任。そのほか九州大学などの非常勤講師を務めた。フィリピン国立ミンダナオ大学名誉博士。現在、福岡県人権問題講師団講師、あらゆる差別をなくす福岡県民会議会長、福岡県人権研究所顧問、ヒューマンライツ福岡市民会議会長、国連NGO横浜国際人権センター理事、福岡県ハンセン病に学ぶ会世話人代表(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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