内容説明
艱難の歴史を刻んできた地と人々の幸いなる出会いの物語。
目次
第1部(原爆が投下された―これからは決して浦上で生まれたと言うちゃならんとばい。;水平社のまぼろし―おまえ、裸になってみろ。おいも裸になるけん。;生きていく青春―おいが行くのは隠れキリシタンの村の中学校さ。;破滅―私がそこの出身なんだ。おいが、その部落民なんだ。;キリシタン弾圧と解放運動の出発―これはたいへんな問題ぞ。キリシタン側の歴史的和解をせんば…。)
第2部(救世主あらわる―平和を祈るということは何もしないということではありません。;運命の浦上天主堂―なんで壊すんですか。残すと言うとったじゃなかですか。;真実を見よ―歴史というものを変えてはいけません。)
第3部(めぐり会った両者―人間は人間にとって敵ではなく、自分と同じ権利をもつ兄弟なのです。;幸いなる再会―部落民がキリシタンに対し寛容であった事例と、キリスト者の幸いを求める視点の狭さを浮き彫りにしてくれた。;神父、最後の日々―三人の名前がわかれば、福者にできるのではないかと思って…。)
著者等紹介
高山文彦[タカヤマフミヒコ]
1958年、宮崎県高千穂町生まれ。法政大学文学部中退。2000年、『火花―北条民雄の生涯』(飛鳥新社、2000年)で、第22回講談社ノンフィクション賞、第31回大宅壮一ノンフィクション賞を同時受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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松本直哉
29
もともと信仰を同じくしながら職業上の差別を受けた部落民がキリシタンの迫害の尖兵とされた歴史は、他ならぬその地への原爆投下で、部落問題そのものがなかったことにされる。その中で最初に私は部落民と宣言した男性。迫害の歴史を調査する過程で、長崎代官の死刑の命令を拒否した部落民や、配流先でキリシタンを人道的に遇した部落民の存在した事実を知る、スペインから日本に帰化した神父。二人の出会いによって、部落民とキリシタンの越えがたい溝を少しずつ埋める困難な努力が始まる。被爆の地長崎を美しく語るだけでは見えてこないものがある2017/08/20
よしじ乃輔
7
被差別部落がキリシタン弾圧の捕吏を行った為、相剋関係となった差別二重構造化を初めて知りました。第一部•長崎での解放運動立ち上げ。第二部•キリシタン弾圧については後に日本へ帰化した結城神父の活動で明らかに。第三部 各々の活動結果とその後。当時の「原爆投下されたのは長崎ではなく浦上だ」という考えが端的。唐突に感じる点もなきにしも、ですが記録の一側面として捉えて読むにはよいのではと思います。2024/05/09
hitotak
5
長崎原爆の爆心地は浦上という町で、ここは被差別部落とキリシタンが隣り合う町だった。その上長崎市街地は破壊されず残り、長崎の人々には「浦上の原爆」という他人事のような考え方があったという。広島市の方が被爆都市としてのアピールも盛んなように感じるのは、長崎の被爆者たちの多くが被差別者ということもあったのだろうか。Eテレの番組で初めて知り、本著を読んだ。双方の迫害の歴史、市の戦災復興による町の消滅、原爆遺構である浦上天主堂が何故取り壊されたのか?など盛り沢山でテーマがぼやけてしまった感はあるが、興味深かった。2017/11/13
isbm
0
★★★2017/07/20
ヤマダ キヨシ
0
☆2016/06/14