内容説明
自分にあった靴さえあれば、どこまでも歩いていけるはずだ―。没後二〇年、今なお愛される須賀敦子。彼女が暮らしたイタリアの街、幼少の記憶、大切なひとたちのこと。「芦屋のころ」「旅のむこう」「きらめく海のトリエステ」「塩一トンの読書」「父ゆずり」ほか一六篇。初めての文庫化。
目次
1(芦屋のころ;旅のむこう;となり町の山車のように ほか)
2(きらめく海のトリエステ;思い出せなかった話;Z―。 ほか)
3(塩一トンの読書;本のそとの「物語」;父ゆずり ほか)
著者等紹介
須賀敦子[スガアツコ]
1929年、兵庫県生まれ。1953年よりパリ、ローマに留学、その後ミラノに在住。日本文学を多くイタリア語に訳した。89年『マンゾーニ家の人々』(N・ギンズブルグ著)の翻訳でピーコ・デッラ・ミランドラ賞、91年『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞。1998年没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
123
須賀さんのさまざまなところに発表されたエッセイを、ご自分のこと、イタリアでのこと、本についての話と3部仕立てにしてくれて楽しめました。いくつかは読んだことがあるのですが、とくに最後の本に関するところはいつもながら楽しめます。読んでいて時間がたつのを忘れさせてくれました。2018/10/10
ふう
89
年譜によると作者は1929年生まれ。戦後欧州へ留学し、イタリア人と結婚、そして永くイタリアで暮らしました。「自分の足にぴったりの靴をもたなかったせいか、行きたいところ行くべきところに行っていない」とありましたが、それが具体的な場所を指すのか、タイトルのとおり心の場所を指すのか考えさせられます。詩人サバの章や日記は難しくて文の上を目が通り過ぎただけですが、家族や友人の話は失われてなお作者の中に生きる大切な記憶に、作者の深い愛情と寂しさを感じました。2018/08/07
吉田あや
72
夜行列車の中、須賀さんに降りてきた時間を拾い集める駅と列車の情景は、宮沢賢治の淡く尊い世界のよう。人も、寂しさも、出会いも、別れも、窓の外の景色のように一定の距離を保ちながらふわっと現れ、ふっとフレームアウトしていく。重みも心情もどの景色も、清らかで、透明感があり、仄暗さを内包しながらも美しい須賀さんの世界を堪能するこころの旅。自分の道を真っ直ぐに進んだ須賀さんの背中が見えるようで心強い心持ちがした。2018/06/20
aika
55
アンソロジーだからこそ、小説家であり、ひとりの女性である須賀敦子が生まれた軌跡を立体的になぞれました。読んだことのある作品も、日記や書評など初めて読むものも、全部がどこか新鮮です。自身の家族にまつわる遠い幼少のころの記憶、やがてフランスそしてイタリアへと渡り、日常を紡いでいく記憶。その断片には必ず文学が下支えしている実感がありました。特に印象的だったのが、イタリア旅行の際にバスで耳の聞こえない子供たちに出会う場面。目の前で生きるひとたちの心の奥をそっと見つめる温かな須賀さんの想像の力を強く感じました。2019/10/27
ぶんこ
43
私の母の年代の方が、若くしてフランスやイタリアに留学していたというだけで驚きです。幼い頃からの生い立ちや聖心での学生時代も、想像の外で興味深かったです。本ばかり読んでいるのを咎められるくだりは、共感大でした。美しい文章と、私には少し高尚な内容も多くて、遥かな高みで微笑む著者でした。2018/12/13