出版社内容情報
人間関係と言葉の相関を考察、神道の語を分析し日本人の精神を解明、新見地により古典作品の解釈を行い、時務論的に国語問題を論述。第一章では、マルティン・ブーバーの我汝哲学に基づいて我と汝としての人間関係が両者の間にある言葉とどのように相関し、成立し、機能しあうかを考察した。さらにその言語表現の根底を支え、在らしめる永遠の汝の存在を明らかにし、そこに真実の言葉が生きることを論じた。
第二章では、主として神道関係の語の意味を言語主体の表現意識に立返り、その表現しようとする過程を究めて、語の成り立ちを探る。語構成意識の分析を通して、意味世界の広がりを究め、日本人の思考と精神のあり方を明らかにした。
第三章では、動詞の自動詞と他動詞の別を発展させ、言語主体が対象を「こなた」「かなた」として捉える発想・観点によって、表現しようとする意味がどのように変るかを多くの用例を分析して明らかにした。さらに、芭蕉の発句と俳文をこの発想によって解釈し直し、その表現意図を究明した。
附篇では、国語のあり方、縦書きであることの意義等を論述し、国語の将来やその対策、文化の根幹を考えた。
第一章 言語論
我と汝としての言葉
第二章 語構成的意味論
第一節「かみ」
第二節「まつる」
第三節「たま」
第四節「かぐら」
第五節「けがれ」
第六節「みそぎ」
第七節「はる」「なつ」「あき」「ふゆ」
第八節「たて」「よこ」
第九節「やさし」
第三章 「こなた」「かなた」の発想論的解釈文法
第一節 動詞の自他
第二節 「こなた」か「かなた」か
第三節「こなた」「かなた」の発想
第四節「こなた」から「かなた」へ
第五節「かなた」から「こなた」へ
第六節「こなた」「かなた」の総合的表現
第七節 芭蕉の発句と俳文の解釈
附篇
一、国語は日本語か
二、国語縦書き論
(附)本書収載の既発表論文の一覧
あとがき
若井 勲夫[ワカイ イサオ]
昭和十八年、京都に生れる。
京都大学文学部を卒業して、同四十五年、同大学大学院文学研究科修士課程修了、国語学国文学専攻。
京都文教短期大学助教授(児童教育学科)を経て、京都産業大学教授(文化学部)、平成二十六年、退職し、現在、同大学名誉教授。
著書
『教科書をどうすべきか国語科編』(日本工業新聞社)
『京都府の方言』(共著、京都府教育委員会)
『和気公と護王神社』(共著、護王神社)
『護王神社』(共著、護王神社)
近刊として
『唱歌・童歌・寮歌―近代日本の国語研究』(勉誠出版)
『和氣神社(鹿児島県)―御鎮座七十年記念』(共著、和氣神社)
『和気清麻呂公景仰史』(ミネルヴァ書房)
内容説明
「かみ」「まつる」「たま」ほか神道関係の要語の原義を語構成の視点から究め、古典作品の文章・和歌、芭蕉の発句俳文を新たな発想で解釈する。第一章では、マルティン・ブーバーの我汝哲学に基づいて、我と汝としての人間関係と両者の間にある言葉との相関関係を考察した。第二章では、神道関係の語の成り立ちを探り、語構成意識の分析を通して日本人の思考と精神のあり方を明らかにした。第三章では、動詞の自他の別を発展させ、言語主体が対象を「こなた」「かなた」として捉える発想・観点によって古典作品を再解釈した。附篇では、国語のあり方、縦書きの意義等を論述し、国語の将来やその対策、文化の根幹を考えた。
目次
第1章 言語論(我と汝としての言葉)
第2章 語構成的意味論(「かみ」;「まつる」 ほか)
第3章 「こなた」「かなた」の発想論的解釈文法(動詞の自他;「こなた」か「かなた」か ほか)
附篇(国語は日本語か;国語縦書き論)
著者等紹介
若井勲夫[ワカイイサオ]
昭和18年、京都に生れる。京都大学文学部を卒業して、同45年、同大学大学院文学研究科修士課程修了、国語学国文学専攻。京都文教短期大学助教授(児童教育学科)を経て、京都産業大学教授(文化学部)、平成26年、退職し、現在、同大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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