内容説明
2006年11月、広島に、ダライ・ラマ14世法王、デズモンド・ツツ大主教、ベティ・ウィリアムズ女史の3人のノーベル平和賞受賞者を迎え、「人の未来を考える」をテーマに、市民と語りあうオープンサミット、広島国際平和会議2006が開催されました。この本は、3人による各講演とシンポジウムでの発言をもとに再構成したものです。
目次
人生にいきづまったとき、どうすればいいでしょうか?
私たちは、ひとりで生きていくことはできますか?
「相手をゆるす」というのはどういうことですか?
宗教は、世界平和の妨げになっていませんか?
謙虚でいるにはどうすればいいですか?
著者等紹介
ダライ・ラマ14世[ダライ・ラマ14セイ][The 14th Dalai Lama]
テンジン・ギャツォ。1935年、チベットのアムド地方のタクツェル村に生まれる。1939年、ダライ・ラマ13世の転生者として認定され、ラサのポタラ宮殿へ移り住み、英才教育を受けた。1959年、中国共産党軍によるチベット侵攻にともなインドへ亡命、チベット亡命政府を樹立、今日までチベット人の自由を求めて世界に訴えつづける一方、12万人にもおよぶ亡命チベット人に対して近代教育ならびにチベット文化と宗教の伝統の保全活動に努め、慈悲と平和と非暴力の教えを広めている。1987年、悪化の一途をたどるチベット情勢の平和的解決へ向けた第一歩として、五項目和平プランを提案。その中で、チベット全土をアジア内陸部における平和の聖域とする「非暴力地帯」の構想を発表。1989年、ノーベル平和賞を受賞
ツツ,デズモンド[ツツ,デズモンド][Tutu,Desmond]
名誉大主教。1931年、南アフリカのヨハネスバーグ近くの貧しい黒人の町、クレルクスドルプで生まれる。さまざまな黒人差別のなかで育つが、優秀な成績で大学に進学。高校の教師となるが、制定された黒人の子どもの教育を制限する「バンツー教育法」にショックを受け、教職を断念。少年時代に出会った白人の反アパルトヘイト運動指導者ハドルストン神父の影響もあり、司祭になることを決意し、神学校へ通い始める。その後、1962年からロンドン大のキングス・カレッジに留学、学士、修士号を取り、副牧師として勤務。後に南アフリカ共和国の英国国教会の大主教に就任する。非暴力を説く反アパルトヘイト運動の指導者で、「南アのマーチン・ルーサー・キング」として知られる。1984年にノーベル平和賞を受賞。1996年から98年までアパルトヘイトで行なわれた残虐行為を明らかにし、国民の和解を図るためにマンデラ大統領が設置した「真実究明和解委員会」の委員長を務める
ウィリアムズ,ベティ[ウィリアムズ,ベティ][Williams,Betty]
1943年、北アイルランドのベルファストに生まれる。1970年代、北アイルランドとイングランドの宗教対立により、激しい内戦となったとき、IRAと警察との衝突の巻き添えに3人の子どもが殺される姿を目撃して大きな衝撃を受ける。被害者の伯母マイレッド・コリガン・マグワイヤとともに暴力に反対する平和市民のための共同体「The Community for Peace People」を設立。北アイルランドにおけるプロテスタントとカトリックの衝突を平和的に解決するために尽力する。その功績が認められ、1976年、マイレッド・コリガン・マグワイヤとともにノーベル平和賞を受賞。近年は、子どもの平和、安全、および幸福をもとめて世界中の紛争地域で活動する「子どもたちに愛情を与えるための国際世界センター」を主宰し、理事長を務めている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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