著者等紹介
神坂雪佳[カミサカセッカ]
1866(慶応2)年、京都・栗田口に生まれる。本名は吉隆。16歳で鈴木瑞彦に師事し四条派を学ぶ。23歳の頃、装飾芸術への関心を高め、図案家・岸光景に師事する。京都美術協会などの美術・工芸新興団体に参加。また、京都市立工芸図案調製所主任として市内業界の図案指導に携わる。絵画や図案制作で受賞を重ね、図案家としての実績を積む。1907(明治40)年に佳美会を設立、京都の工芸家を組織し各種工芸の制作や図案研究を開始する。1913(大正2)年の光悦会発足の際に発起人となり企画運営に力を尽くす。1942(昭和17)年、没。77歳
古谷紅麟[フルヤコウリン]
1875(明治8)年に滋賀県高島郡海津町に生まれる。本名は藤太郎。京都に出て、漢学や国文学を修めた後、四条派の鈴木万年に絵画を、神坂雪佳に図案を学ぶ。1896(明治29)年、22歳で京都美術協会主催第二回新古美術品展覧会の図案部に「紅燐」の名で「加茂川千鳥總透シ彫文房用棚木具指物圖案」を出品し入賞する。また、第二回懸賞図案会では「手箱松島」で褒状一等となり、その他にも織物や漆器の図案で受賞するなどして、図案家としての活動を始める。これ以降は、主に新古美術展覧会に精力的に出品し入賞を重ね、後には審査委員となる。また、1900(明治33)年から京都市立美術工芸学校(現・京都市立芸術大学)に嘱託技手として勤務し、1905(明治38)年に助教諭となった。絵画、図案、建築に関わる技法や知識の吸収に努力しながら、後進の指導にあたる一方で、展覧会出品を行い、多数の図案集を発行するなど、精力的に活動したが、1910(明治43)年の暮れに突然に病に倒れ、36歳という短い生涯を終えている(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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