内容説明
「セックス」「ジェンダー」「クィア」「人種」をめぐる、言説と身体の物質性への問いかけ。
目次
序章
第1部(問題=物質となる身体;レズビアン・ファルスと形態的想像界;“幻想”的同一化とセックスの引き受け;ジェンダーは燃えている―我有化と転覆の問い)
第2部(「横断危険」―ウィラ・キャザーの男性的名前;パッシング、クィアリング―ネラ・ラーセンの精神分析的挑戦;現実界と論争する;批判的にクィア)
著者等紹介
バトラー,ジュディス[バトラー,ジュディス] [Butler,Judith]
カリフォルニア大学バークレー校教授
佐藤嘉幸[サトウヨシユキ]
筑波大学人文社会系准教授。京都大学大学院経済学研究科博士課程を修了後、パリ第10大学で博士号(哲学)取得。専門は哲学/思想史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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しゅん
16
ジェンダーは構築的で、セックスは自然であるという考えへの反論。同時に、「構築」というのは「服を着替えるように選択可能」という認識への反論。セックスという身体も構築されたものだが、構築は選択ではなく、言語行為の反復の中で作られていくという意味。行為の反復によって構築させたセックスは、簡単に脱ぎ捨てられるものではない。本書の概論はおそらくこのようになるかと思う。ラカンとジジェクが「ファルス」を特権しており、「ファルス」は複数あるという批判は、東浩紀の複数的な超越性(=郵便的)に近いように思える。2023/11/07
あまん
7
バトラーの考えの根底にはヘーゲルの弁証法がある。また、ラカンの精神分析を取り入れているが、その点については本当にわからない。ラカンを読む機会があれば、再度読んでみよう思う。ジェンダー形成とは、ある人がそれを「引き受ける」のではなく、ジェンダー規範の引用することによって生存可能になるのである。つまり、先行する規範に依存するしかないのである。社会的統制である異性愛規範は、身体の理解可能性に寄与しないならば、人種という社会的統制が新たに異性愛規範を突き崩すと言う。→コメント欄へ続く。備忘録として。2022/01/01
袖崎いたる
7
やぱ哲学って大事なぁと思わされる。科学的科学的、唯物的唯物的にと突き詰めていくと取りこぼしてしまうものとかって、概念分析するとカバーできたりするんよな。そこが哲学の出番。ナチュラルボーンな身体に文化のコードが染み付いてしまうからジェンダーが出来るっていう社会構成主義の立場への批判もさることながら、フロイト=ラカンのファルス概念の脱構築を通して「レズビアン・ファルス」なる概念を爆誕させる。その心は単独のペニスに還元されるような意味・権力を中心に据えた二分法的性化を撹乱するため。器官なき身体を取り上げるため。2021/09/10
ちり
3
“もし名前が同一であり続けるべきで、親族関係の要求が満たされるべきだとすれば、そのとき族外婚が必要とされ、それに伴って女性の交換が必要とされる。父姓的操作がその不変性と不滅性を確保するのはまさしく、女性が、妻と娘という役割において自らの名前を放棄し、別のある父姓の永続性と固定性を確保し、また息子の妻がこの父姓の永続性を確保するために外からもたらされるべきだ、という要求によってなのである”2021/07/19