水戸光圀の時代―水戸学の源流

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  • サイズ B6判/ページ数 303p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784751730706
  • NDC分類 289.1
  • Cコード C3021

内容説明

兄を超えて水戸藩主になった光圀は、これを憂えて兄の子に家督を譲った。そのためには自分の血統の絶えることも辞さなかった。代わりに、光圀は名を伝えることを望んだ。聖人として敬われることを欲したのである。光圀は最高の存在と評価されるべく、つねに努力したに違いない。伝えられるように、道徳的に厳格であり、権威に屈せず、民百姓に仁政を施そうとしたのである。しかし、光圀を神格化したり、人格的に完成した理想的な人物ととらえるのは間違いである。事実としての光圀は、学者としても藩主としても、矛盾に陥り解決できず、悩み苦しんだのである。そして、南朝正統論にしても、農民に検見を委せたことにしても、最終的には独断を押しつけたのであった。光圀は悩み苦しんだ人としてとらえられるべきである。そのほうが真に人間的でもあろう。そうした光圀の学問的業績としては、儒教的な中国文化と武士的な日本文化とは矛盾することを、最初に自覚した人といえるのではないか。以後、水戸学において和漢の折衷は最大の難問となる。

目次

1 治政と実像
2 立志と『大日本史』編纂目的
3 光圀と藩政―藤井紋太夫誅殺をめぐって
4 『大日本史』編纂の歴史観―北朝正統論をめぐって
5 南朝正統論の由来と意味
6 『扶桑拾葉集』にみる思想的展開
7 徳川光圀の天皇観