目次
こどもたち
六月
わたしが一番きれいだったとき
小さな娘が思ったこと
はじめての町
汲む―Y・Yに
惑星
言いたくない言葉
自分の感受性くらい
鍵〔ほか〕
著者等紹介
萩原昌好[ハギワラマサヨシ]
1939年神奈川県に生まれる。東京教育大学、同大学院を卒業後、埼玉大学教授、十文字女子大学教授を経て、現在に至る。宮沢賢治学会イーハトーブセンター会員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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KAZOO
108
茨木のり子さんの詩が数多く収められていてこの詩人について様々な面を見せてくれています。対象が中学生くらいなのでしょうか?解説が非常にわかりやすく参考になります。「倚りかからず」という詩集を以前に読んだことがあるのですが、それよりももっと幅広い詩人の側面を見せてくれたように感じました。また挿絵が非常に詩に合っています。2019/09/07
吉田あや
63
『頼りない生牡蠣のような感受性(略)年老いても咲きたての薔薇柔らかく』常に凛と身も心も正しながら、終生柔らかな感受性で心を外に向かって開き続けようとした茨木さんの強く優しい詩たち。人類の始まりから今日まで世界平和、差別根絶を願い謳いながらも絶え間なく争いは続き、人々の終わりの見えない欲望に『猛烈な癇癪玉まで手に入れて』と、時に烈火の如き怒りを詩に滲ませる。薄っぺらな言葉にならないのは「言いたくない言葉」にあるように、(⇒)2023/05/09
有
55
小中高生向けに解説文があり、詩に馴染みがなくても読みやすい。もともと「自分の感受性くらい」が好きで、よく思い出していた。最近「言いたくない言葉」が引用されている本を読み、ふと手に取る。凛としてたくましい印象の詩が多い中、「泉」はこれ以上ないラブレターのように思えたし、「瞳」や「詩」では茨木のり子という詩人のもとのようなものを垣間見た気がした。私の中にも誰かの感受性が溶けてしみこんでいることだろう。言葉と向き合い、何かを思う。贅沢な時間を生きている。詩としていつもと違う顔をする言葉に、もっと触れたくなった。2021/05/18
陽子
34
茨木のり子の詩に出会ったのは、子ども時代の教科書。詩の内容は覚えていないのだが、名前だけははっきりと頭に残っていて、多分その当時心に焼きついたのだと思う。改めて読むと、まさに「清洌な」「凛とした」表現。物事の見つめ方や己に対する厳しさが内包。「自分の感受性くらい」「わたしが一番きれいだったとき」「汲む」「泉」「こわがらない」印象に残った。2022/03/12
とよぽん
31
「問い」「木は旅が好き」「水の星」「泉」「M・Tに」が今の私に特に響いた。萩原昌好 編「日本語を味わう名詩入門」というシリーズ第16巻。茨木のり子さんが亡くなった後、編まれた詩集だ。死後に見つかった作品も収められている。鋭さ、みずみずしさ、ユーモア、厳しさ、奥が深い。2019/08/07