出版社内容情報
●内容紹介(版元ドットコムより)
中国・朝鮮・ベトナム・日本、漢字文化や稲作を共有する東アジア地域の歴史を概観する。ヨーロッパ史のアレゴリーという理解から東アジア史を解放し、独自の時代区分を設定して歴史的特徴をつかみ取る。斬新な視点からとらえなおされた画期的な通史。
●目次(版元ドットコムより)
はじめに
東アジア史
序章
「東アジア史」とは何か
東アジア史の時代区分
東アジアにおける歴史記述の基本形態
東アジアの地理
第1期 古代文明期の地域文化、都市国家、神権政治〈前6000年頃-前221年〉
石器時代/照葉樹林と東アジア文明の黎明/古代文明期の諸文化/翡翠/初期青銅器時代と国家形成の始まり、ほか
第2期 世界帝国としての初期古代中国〈前221年-後221年〉
最初の帝国:秦(前221-前202年)/ユーラシア遊牧民との衝突/秦の終焉/宦官/前漢時代(前202-後8年)、ほか
第3期 小国分立と東アジアの民族移動〈221-650年頃〉
三国時代(222-280年)/西晋(265-316年)/南北朝(317-589年)/朝鮮の三王国:高句麗、百済、新羅(313-668年)/高句麗(-668年)、ほか
第4期 東アジアにおける国家形成のモデルとしての後期古代中国〈650年頃-900年頃〉
初唐(618-690年)/中国歴代王朝の官僚選抜法/唐代の諸改革/帝国の領土拡張と疲弊/武則天(690-705年)、ほか
第5期 中華帝国の分裂と周縁諸国の台頭〈900年頃-1270年頃〉
五代十国時代(907-960年)/宋王朝(960-1279年)/近世中国の幕開け/遼(916-1125年)/西夏(1038-1227年)、ほか
第6期 モンゴル帝国の支配と周縁の危機〈1270年頃-1370年頃〉
モンゴル諸部族の統一/高麗の征服/モンゴル人による中国の異民族支配:元王朝(1276-1368年)/大越:元の侵攻と陳朝の崩壊/占城、ほか
第7期 東アジアの再編〈1370年頃-1640年頃〉
明朝(1368-1644年)/インド・太平洋圏へのヨーロッパの進出/明の発展と衰退/李氏朝鮮/琉球王国、ほか
第8期 東アジアの近世〈1640年頃-1840年頃〉
中国:清王朝(1644-1912年)/鄭氏の台湾支配/清の国家と経済・社会/日本の対外関係/日本支配下の琉球、ほか
第9期 東アジアの解体〈1840年頃-1895年〉
アジア大帝国の終焉/アヘン戦争と太平天国の乱(1840-1864年)/日本:開国と徳川政権の崩壊/明治維新:近代日本の建設(1868-1889年)/清:同治改革運動、ほか
第10期 東アジアの内戦〈1895年-1989年〉
日本の台湾占領/大韓帝国/中国:百日維新から義和団の乱まで/日露戦争と朝鮮併合/中国とベトナムの民族主義運動、ほか
「東アジア」の構築 表象的空間の発見と近代ドイツ・日本の関与
1 近世アジアの「アジア」
2 ドイツに見る19世紀前半までの言語・民族・地理学
3 東洋学の登場
4 プロイセンおよびドイツ語圏の外交に現れる「東アジア」
5 ヨーロッパ語の選択
6 明治の「東アジア」
7 軍事用語としての「亜細亜東部」
8 脱亜論の「亜細亜東方」
9 歴史・地理の「東亜細亜」
10 「東亜」と日清戦争
11 「東部亜細亜」と「東洋史」
12 「東洋」と「東亜の現勢」
13 「志興東亜」の時代
14 東南アジアはなぜ東洋学から除外されたか
15 三木・津田論争と「東亜」のユートピア
16 「モンスーンアジア」とドイツの地政学
17「東亜」から「大東亜」へ
解題(李成市)
索引
●本書より(版元ドットコムより)
はじめに
私が南アフリカに生まれた理由は、実は東アジアの歴史にある。父は第二次大戦後まもなく宣教師として中国に赴任する予定だった。ところが、当時中国では共産党と国民党の内戦が起こり、外国人宣教師たちは皆やむを得ず中国を離れ自国に戻った。東アジアに行けなくなった父は1949年、家族を連れてかわりに南アフリカに渡り、1968年まで滞在した。本書「東アジア史」第10期の章で「東アジアの内戦」として叙述した中国・日本・朝鮮半島・ベトナムの近現代史の出来事が、もしなかったとしたら、私は広東あるいは南京で生まれていたかもしれない。
個人的な話のようではあるが、この一例は近現代史の重要な特徴をよく示していると思う。近代になってから、地球はますます一つの世界に統合され、古代ギリシャ人が考えたオイクーメネー(人が住んでいる全世界)はますます拡大し、世界の各地域は互いにいよいよ影響しあい、交流しあうようになった。つまり近現代は、東アジア情勢が理由で渡航先がアフリカに移る、という個人史を可能にした時代なのである。
現在の東アジアという地域も、この近代化という過程のなかで形成されたといっても過言ではない。過去の時代を振り返って見ても、こんにちのように、日本人と中国人、韓国人と台湾人などが皆、経済的、政治的、文化的に密接につながっている時代はこれまでなかったといって良いであろう。交流というのは、より正確にいえば、「日本人として」「中国人として」「韓国人として」の交流のことである。そして、「日本人」「韓国人」「中国人」といったレッテルを構成している、「ネーション」、「国民」、「国語」、「国境」などの概念は、すべて19世紀の近代国家が生んだ概念であり、前近代に存在した多様・多面的な接触を同じ枠組みで理解しようとすれば、大変な誤解を招きかねない。
だからといって、東アジア史は19世紀に始まったと考えるのも誤りである。現在の東アジアの源泉は遠い過去にさかのぼる。そしてこの遠い過去は、現在の事情と無関係ではない。2000年前には「日本人」「韓国人」「中国人」などと呼ばれた人間はいなかったが、現在の彼らを理解するための貴重なヒントを得ようとするなら、2000年前の歴史を見なければなるまい。ただし、日本人「だけ」の歴史、あるいは中国人、韓国人「だけ」の歴史に視野を限定してしまえば、彼らを過去から現在まで互いに連関させている共通点、また逆に互いを隔てている相違点、場合によっては、彼らを互いに衝突させた争点が何なのかを見失ってしまうだろう。また、現在の社会・文化を、彼らが周囲との交流から受けた影響の結果、形成されたものとして把握することも難しくなるだろう。
(…中略…)
「東アジア史」ドイツ語初版を最初に目に留めて下さったのは、早稲田大学文学部の小倉欣一教授(2007年3月ご退職)で、小倉教授が同東洋史研究室の李成市教授をご紹介下さった。2002年に日本学術振興会の奨学金を得て早稲田大学に研究滞在した際、私は両教授から「東アジア」の地域概念について発表する機会をいただいた。本書後半の「東アジアの構築」は、2002年夏に早稲田大学でおこなった日本語での講演に、2003年米国ミシガン大学、2004年台北でのアジア歴史学者国際連盟学会、2005年ドイツ・ゴータ市での地理学の歴史をテーマとする学会での発表など、その後の研究成果を加筆したものである。
「東アジア史」の教科書と「東アジアの構築」の研究論文を合わせて日本で出版するアイディアは、早稲田大学の小倉・李両教授が勧めて下さったもので、「東アジア史」の翻訳は独日翻訳者の妻、植原久美子が担当し、監修は李・小倉両教授にお願いした。ところが、途中で「東アジア史」ドイツ語版の再版、さらに私の他の業務が重なり、編集はなかなか進まず、出版が当初の計画より大いに遅れてしまった。日本語版作成にあたっては、再度内容を吟味し、考え直したり大幅に書き直したりしたところが少なくない。そのため、日本語版はドイツ語版と比較にならないくらい充実したものになったと思う。それでも避けることのできなかった誤りは、言うまでもなく全て私一人の責任に帰すものである。
(…後略…)
目次
第1期 前6000年頃‐前221年 古代文明期の地域文化、都市国家、神権政治
第2期 前221年‐後221年 世界帝国としての初期古代中国
第3期 221‐650年頃 小国分立と東アジアの民族移動
第4期 650年頃‐900年頃 東アジアにおける国家形成のモデルとしての後期古代中国
第5期 900年頃‐1270年頃 中華帝国の分裂と周縁諸国の台頭
第6期 1270年頃‐1370年頃 モンゴル帝国の支配と周縁の危機
第7期 1370年頃‐1640年頃 東アジアの再編
第8期 1640年頃‐1840年頃 東アジアの近世
第9期 1840年頃‐1895年 東アジアの解体
第10期 1895年‐1989年 東アジアの内戦
東アジアの構築―表象的空間の発見と近代ドイツ・日本の関与
著者等紹介
ツェルナー,ラインハルト[ツェルナー,ラインハルト][Z¨ollner,Reinhard Erich]
1961年南アフリカ共和国ブルームフォンテーン市生まれ。ドイツ・キール大学人文社会学部にて歴史学、ラテン語を専攻。ハンブルグ大学にて日本学を専攻。1983‐1985年、上智大学比較文化学部留学。1993年、キール大学人文社会学部博士課程修了。1997年、トリア大学にて教授資格取得。1990‐1997年、デュッセルドルフ大学現代日本学研究室講師。1997‐1999年、ハレ大学・日本学研究室教授(近代日本経済・社会史)。1999‐2008年、エルフルト大学・東アジア史講座主任教授。2003‐2004年、米国ミシガン大学日本センター客員教授。2008年‐ボン大学日本・韓国研究専攻主任教授
植原久美子[ウエハラクミコ]
1962年、北海道札幌市生まれ。1986年、東京外国語大学ドイツ語科卒。1986‐1990年、ドイツ・キール大学人文社会学部にて教育学、歴史学、社会学を専攻。1991‐1994年、デュッセルドルフ市日系翻訳通訳会社に専属翻訳者として勤務。1995年よりフリーランス(主に経済、ジャーナリズム翻訳)。1996年‐民間シンクタンク契約翻訳者
小倉欣一[オグラキンイチ]
1937年、東京生まれ。1966年、早稲田大学大学院文学研究科史学(西洋史)専攻博士課程単位取得退学。東洋大学経済学部教授、早稲田大学文学部・文学学術院教授を経て、現在は、早稲田大学ヨーロッパ文明史研究所研究員。博士(文学)
李成市[リソンシ]
1952年、愛知県名古屋市生まれ。1982年、早稲田大学大学院文学研究科史学(東洋史)専攻博士課程修了横浜国立大学教育学部助教授を経て、早稲田大学文学学術院教授。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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- 和書
- 解剖生理学概論