重度障害児家族の生活―ケアする母親とジェンダー

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重度障害児家族の生活―ケアする母親とジェンダー

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  • サイズ A5判/ページ数 205p/高さ 22cm
  • 商品コード 9784750323268
  • NDC分類 369.49
  • Cコード C0036

目次

1章 分析視角の設定
2章 育児期における母親の生活1―ケアの担い手としての母親
3章 育児期における母親の生活2―療育・教育責任者としての母親
4章 加齢期を迎えた母親の生活―成人後の「子ども」を支える母親
5章 家族の生活に表れるリスク―「問題のない家族」を演じることの矛盾
終章 障害児家族のノーマライゼーション

著者等紹介

藤原里佐[フジワラリサ]
1962年生まれ。同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒業。北海道大学大学院教育学研究科教育学専攻博士課程修了。保育士、養護学校教員を経て、北星学園大学短期大学部助教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

出版社内容情報

障害当事者の深刻な問題に隠れて見過ごされてきた障害児の母親の立場に焦点をあて、ジェンダーの視点から分析する。生活実態調査から、母親に過度に集中する様々なケア役割、困難、葛藤等を考察し、母親の人権が奪われてきた経過と、その回復の手だてを探る。

はじめに
序章
 1節 障害児家族に関する研究動向
 2節 「新しい」障害観の形成とその限界――要田論文の検討を通して
1章 分析視角の設定
 1節 問題の所在――ジェンダー視点の欠如
 2節 現代の障害児ケアにみる特殊性
 3節 「余儀なくされる」母親の当事者性
2章 育児期における母親の生活1――ケアの担い手としての母親
 1節 1995年調査の概要
 2節 母親の身体的負担とストレス
 3節 母親のアドボカシー機能
 4節 育児期の振り返りとこれからの生活――制約される母親の生き方
 5節 「ケアする母親」であることの強制
3章 育児期における母親の生活2――療育・教育責任者としての母親
 1節 2000年調査の概要
 2節 乳幼児期のとまどい
 3節 母親役割の肥大化
4章 加齢期を迎えた母親の生活――成人後の「子ども」を支える母親
 1節 2002年調査の概要
 2節 母親の生活歴
 3節 在宅介護の限界
 4節 子どもをめぐる母親と施設の関係
 5節 追跡調査
5章 家族の生活に表れるリスク――「問題のない家族」を演じることの矛盾
 1節 育児と介護の連続性
 2節 母親からみる家族の実情
終章 障害児家族のノーマライゼーション
 1節 子育てにおける家族責任の揺らぎ
 2節 母親のアイデンティティと葛藤
 3節 家族支援に潜むジェンダー
 4節 結語 障害児とその家族の「自立」
あとがき
謝辞

はじめに
 筆者は、障害児教育の実践に携わる中で、知的にも身体的にも重い障害をもつ子どもとその母親に出会った。母親は、子どもの生活、教育、介護など、あらゆる面における「専門家」であり、また、そのようにふるまうことを期待されているように見えた。学校教育との関わりにおいては、通学の送迎や医療的ケアのための待機を始めとし、摂食の援助や行事の手伝いなど、母親の役割は多岐にわたっている。子どもの学校教育は、母親によるサポートを条件として成立しているといっても過言ではない。
 家庭と学校が密接に関わりながら、子どもを育んでいくことの意義は理解できるが、時間的にも身体的にも制約を受けている母親への配慮が欠けているのではないかという疑問が筆者の中では渦巻いていた。さらに、母親に拠るところの多いケアの態勢は、子どもの学齢期のみならず、就学前から成人後に至るまで継続していることを知り、問題の深刻さを感じた。このようなことを背景に、障害児の母親に特化して現れる問題について関心を持ち、その困難性や社会的関係を明らかにすることが筆者の研究テーマとなった。そして、1995年から数回にわたり実施した障害児者家族の調査により、母親の生活を取り巻く様々な状況、時代的な特徴、子どもへの思いなどを母親の言葉から聞き取り、多くの課題を与えられた。
 近年は、障害児者のあらゆる権利を擁護する動きが活発になっている。社会参加のあり方も多様化する中で、学校教育のみならず、余暇活動や地域生活などの場面においても、彼らの権利が保障されるよう、社会的サポートの幅が広がっている。こうしてみると、障害者福祉が発展し、障害児の生活基盤も安定してきたと判断されがちであるが、重度障害児の生活は、母親が全面的に子どもに付き添い、支援することが前提となっている。いわゆる重度重複障害児の教育や福祉に関しては、子ども自身からの主張を代弁する形で、親たちが懸命に運動を展開し、その成果として、教育や療育の機会が拡充されてきたことが知られている。母親は学校教育、医療、余暇活動等々の場面で、子どもが社会的資源を享受し、心身の発達を遂げるために、「お母さんが頑張って下さい」という条件が所与のものとされている。
 しかも、一般的な育児の期間以上に障害をもつ子どものケアは長期化し、母親の身体的負担も蓄積する。母親は自らの健康や心のゆとりを求めることもできないまま、逼迫した生活を余儀なくされている。それは子どもの側から見ると、母親が体調を崩すと日常的な介助が滞るだけではなく、学校生活にも支障がでるという事態に陥ることでもあり、一見安定した生活の中に様々なリスクが隠れていることがわかる。もちろん、障害児の母親が日々どのように暮らし、いかなる困難を抱えているかについては、子どもの疾患、家族構成、母親自身の健康状態などにより差異がある。しかし、個々の家族に派生する困難や不安の背後には、母親をめぐるジェンダー規範の影響があるのではないかというのが筆者の仮説である。
 障害児の母親の生活をジェンダーの視点から分析する上で、以下のように問題を整理し検討したいと思う。
 第一に、母親は、障害児が生まれたことで養育責任を強くもち、障害児を育てることに専念しようとする。母親が努力をすれば、それだけ子どもの発達にもよい影響がでると周囲からも奨励され、孤軍奮闘してきた経過がある。家族の中でも、母親が養育責任を果たすことが自明視され、子どもへの援助が分散されない状況が作られている。
 第二に、障害児の母親の生活実態や困難性が社会的に知られる機会が乏しく、支援の必要な状況であることが認識されていないことがあげられる。障害当事者の福祉を追求することが主眼となり、家族、とりわけ母親がどのような役割を果たしているかについては障害児と携わる関係者にも正しく理解されていない。
 第三に、介護の担い手としての生活が長期化することで、母親自身も健康面の不安や将来の生活に対する心配が高じてくるが、障害児と家族を社会的にサポートする体制が弱いため、母親が主たる介護者としての役割を担わざるを得ない状況が作られている。
 以上のような問題が母親を取り巻いているのであるが、「障害児の母親の生活」は、母親自身の意識のあり方や、育児の方法などによって変化し得るものであり、いわば母親次第という印象が与えられる。それは、ある意味において母親を力づけ、障害児との共生を支えるものとなるが、本質的な問題は見過ごされることになる。すなわち、障害児の母親個人の努力や奮闘が美化され、称讃される限りにおいて、母親自身の生活の「不自由さ」は解決されないのではないだろうか。
 障害児者自身のQOLを高めることはもちろん重要であるが、その裏面において母親の生活の質が低下していくことが許容されてよいとは言えない。本書では、母親の立場に焦点をあてることで、母親の生活構造や、それが社会的に規定されていく過程を分析していくことを試みる。現代社会における、障害児者と家族の問題を顕在化させ、母親の生活実態を丁寧に考察することを通して、母親の人権が奪われてきた経過と、それを回復するための手だてを究明したいと思う。
 全体構成としては、序章において、これまでの障害児家族の研究を概観し、障害児支援の構成要素として家族や母親が位置づけられている動向に触れる。また、障害者の母親がおかれている社会的状況を「差別」という観点から分析した要田論文を手がかりに、家族の意識を変えることでは解決し得ない「生活の問題」についての視点を提示する。1章の「分析視角の設定」では、母親の生活を家族の内外から規定するジェンダー規範の存在を検討する。社会福祉問題全般において、ジェンダー・アプローチが注目されている中で、障害児ケアに関しては、その視点が意図的に排除されてきた経緯がある。すでに高齢者ケアや身体障害者支援の場面では、女性を中心としたケアワークのひずみが顕在化し、そこからの解放が、当事者にとってもその家族にとっても必須であることが認識されている。それに対して、対象者が障害をもつ子どもであるという理由で母親の養育責任が重視され、家族内においても、障害児の専門機関においても、母親依存が強化されている。そうした体制が作られてきた背景を明らかにする。
 2章から4章では、障害児の母親のライフステージにおいて、具体的にどのような問題があり、母親はそれにどう対処してきたのかを考察する。さらに5章では、それが母親のみならず、障害児の家族全体に波及している実態を、家族の生活に現れるリスクという点からみていく。そして、障害児家族へのケア役割の集中や、母親の葛藤が顕在化することにより、家族支援の理念と実践への関心も芽生えているが、ジェンダーの視点からそれを検討することを終章の課題とする。
 障害児と家族が地域で共に暮らすことは、近年「当たり前のこと」としてみなされ、加齢期の母親がかつて経験したような、身内や世間への気遣いから「家におくことができない」という判断がもたらされることは今日希有であろう。しかしその裏面において、障害児家族の責任が一層強められ、地域で暮らすためには家族のケア、特に母親役割が怠りなく果たされること、という条件が付加される。
 したがって、障害児が在宅の生活を継続した結果、家族が抱える困難や母親が担う役割が増幅したとしても、それを選択した以上、家族内で応分の負担を分かち合うことは必然的であるという見方も生じかねない。あるいは、社会資源の活用により、家族の困難を解消することができるはずであると、制度やサービスの実態と乖離(かいり)した判断がなされる可能性もある。
 障害児の母親の抱える困難、葛藤は母親個々に表れる固有の現象であるだけに、その実態や対策が十分に議論されず、障害児自身の逼迫した問題の背後に埋没してしまうことが懸念される。そうした意味からも発想を転換し、現に、障害児の育児・介護を担っている女性の問題として捉え直すことを筆者は提案したいと思う。