出版社内容情報
学習意欲の衰退は極限に達しているといわれる現代の高校。本書は、従来の高校教育に関する固定観念を越え、困難な情況の中で生徒を引き付け、生徒と教師の関係を築き直している国語、総合学習授業の7つの斬新な実践例を収録。望ましい授業とは何かを考える。
[巻頭言]教えと学びの交響する教室へ(竹内 常一)
まえがき
書くことで自分と他者とを結ぶ──「国語通信」と「聞き書き」を中心に(神林 桂一)
【コラム】自分史に取り組む(山口 直之)
ことば・教育・文化・社会(札埜 和男)
【コラム】実感に寄り添う言葉に出会うとき(竹島 由美子)
『夜の水泳』の読みの授業(谷 峰夫)
【コラム】「カンケイなさそうなもの」を「切実なもの」に(齋藤 知也)
「参加」と「尊重」の書きことばを求めて(今村 梅子)
[解説]「国語」の授業を開く(竹内 常一)
国語の巻 まえがき
『授業づくりで変える高校の教室』と名づけられている本シリーズは、こんにちの高校が直面している二重・三重の「教育困難」にどう取り組むかを意識して編集されています。
一般的に「教育困難」ということばは、高校段階の教育に応ずることができない、また応ずることを拒否している生徒たちのために、教育をなりたたせることができない事態をさすものとしてつかわれています。
しかし、本シリーズは、既存の高校教育を前提にし、それに応じない生徒たちの存在に「教育困難」の責任を一方的におしつけるものではありません。「教育困難」が選抜システムとしての高校と大衆化した生徒たちとのズレから生じていることを考えると、既存の高校教育のあり方がなによりも問われなければなりません。
いま、このような「教育困難」の状況を「国語(科)教育」にそくしてみると、それは教師のことばと生徒のことばとが異言語にちかいものとなり、授業の内においても外においても両者のあいだに対話もコミュニケーションもなりたたないほど深刻なものとなっています。
もともと教えるものと学ぶもののことばとのあいだには、大きな溝があることは学校の常識です。って、生徒たちが「市場のことば」のなかに「自分のことば」「自分たちのことば」を見出したかというと、そうではありません。生徒たちはそれらのことばにとらわれ、それらのことばが描くニセの世界に吊り上げられることはあっても、「自分のことば」「自分たちのことば」で自分たちの生きる世界を描きあげることができないでいます。
いいかえれば、このことは生徒たちが公共圏をつくりだす「市民のことば」をもつことができないでいるということです。ですが、これは生徒たちだけの問題ではなく、おとなをふくむすべての人たちの問題です。「国家のことば」や「市場のことば」に対抗する「市民のことば」をわたしたちが手にしていないという問題なのです。
このようにみてくると、「国語(科)教育」は、(1)既存のことばに取り囲まれながらも「自分ことば」「自分たちのことば」を探し求めている生徒たちの試みをはげますこと、(2)教師と生徒、生徒と生徒がことばを交わしながら「授業空間」をひとつの「公共圏」にしていくこと、(3)そのなかで「国家語」「企業語」に代わる「市民のことば」をつくりだしていくことを課題としなければならないでしょう。このことを抜きにして、「国
目次
書くことで自分と他者とを結ぶ―「国語通信」と「聞き書き」を中心に
ことば・教育・文化・社会
『夜の水泳』の読みの授業
「参加」と「尊重」の書きことばを求めて
解説 「国語」の授業を開く
著者等紹介
竹内常一[タケウチツネカズ]
1935年生れ。東京大学大学院修士課程修了、國學院大學教授、2005年に退職、名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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