出版社内容情報
外見からは全くわからないが、下半身の感覚がないため排泄の自己管理もままならず、痛覚もないため常に死と向き合わざるを得ない二分脊椎という障害を持ち、20歳が寿命と言われていた著者。その常に前をむきひたむきに明るく生きる姿を自身で語った感動の物語。
はじめに
序 章 障害をもって生まれた私
第1章 そして、私の人生がはじまった
第2章 一人じゃないからがんばれる
第3章 三つの夢へ向かって助走のときに
第4章 はじめての就職
第5章 いのちのカウントダウンの中で、道場の夢へ
第6章 大手電機メーカーへ。二つめの夢をかなえるとき
第7章 三つめの夢。運転免許を取る!
第8章 合気道が私にくれたもの
第9章 一つの夢が終わるとき
第10章 自分の「障害」に正面から向き合う
第11章 福祉の道を歩きはじめて
第12章 いのちのかぎり、挑戦しつづけたい
終 章
あとがき
はじめに
私は身体(肢体)障害者です。三歳のとき、余命は二〇歳までと宣告されていました。現在三七歳になります。この間、六〇年分以上あると実感できるほどの、愛情と友情にあふれた、たくさんの経験(体験)をしてきました。
そして二〇〇一年夏が終わり、空が秋色に染まりだしたころ、友人と「グリーン・ゲイブルズ」というレストランに行ったときのことです。そのレストランのまわりでは、たくさんの樹々が太陽に照らされて輝き、その空気が室内にしみこんで、まさに森の中にいるようなやさしさに包まれていました。外の景色に、ほのぼのと見惚れていた友人が、
「あなたは樹(人)そのものやね」と、言い出したのです。
「どこにいてもさりげなく自然で……」と。
「樹は日々生長し、土の中にどっしりと根づき、雨にも風にも負けない太い幹をもち、枝をのばし、かぎりなくたくさんの葉(可能性)をつけ、実をつけて大きくなっていく」
さらに友人はつづけます。
「神原さん、本を書いたら。題は『人となる樹』」
「なぜ?」と問うと、
「なんかようわからんけど、そんな気がした」という答えが返ってきました。
少しの間、時間がとまったよ
目次
障害をもって生まれた私
そして、私の人生がはじまった
一人じゃないからがんばれる
三つの夢へ向かって助走のときに
はじめての就職
いのちのカウントダウンの中で、道場の夢へ
大手電機メーカーへ。二つめの夢をかなえるとき
三つめの夢。運転免許を取る!
合気道が私にくれたもの
一つの夢が終わるとき
自分の「障害」に正面から向き合う
福祉の道を歩きはじめて
いのちのかぎり、挑戦しつづけたい
著者等紹介
神原史直[カンバラフミナオ]
1968年大阪府泉佐野市で先天性障害である二分脊椎として生まれ、3歳のときに余命20歳までと宣告される。中学卒業後、兵庫県立身体障害者職業訓練校にて電子機器の基礎知識を学ぶ。1988年三菱電機特機システム株式会社(旧菱電特機株式会社)に入社。1996年天職ともいえる電子機器の職場を自己の障害のために退職。障害と向き合いながらも新たな人生を歩むべく、堺での刃物研ぎ修業の後、1998年地元の尼崎市でカットリー・サービス(刃物研ぎ)を開業。同年、障害者福祉施設に出会い、福祉に目覚める。カットリー・サービスを廃業し、2000年より身体障害者福祉センターに勤務。現在、指導員およびピア・カウンセラーとして働くかたわら、福祉について専門的に学ぶために大学入学資格検定を取得し、仏教大学通信教育部社会学部社会福祉学科に在籍中。主な受賞歴、1992年電子回路接続技能検定優秀賞受賞。1993年電子機器組み立て技能検定優秀賞受賞。1999年尼崎市スポーツ賞受賞。兵庫県スポーツ優秀選手賞受賞。2000年尼崎市スポーツ賞受賞
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