アラビスト外交官の中東回想録―湾岸危機からイラク戦争まで

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  • サイズ B6判/ページ数 271p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784750320502
  • NDC分類 319.102
  • Cコード C0036

出版社内容情報

激動の中東において、大使を歴任した著者が、その豊かな中東体験を回顧し、併せて、イラクを、中東を、そして、外務省のあり方を考察する。アラビストとしてのその視点は一貫しており、「ヒューミント」の重要性を熱く説く。示唆に富む一著である。

まえがき アラビストが綴る中東「ヒューミント」の歴史
第1部 激動の中東を生きて
 第1章 中東への開眼
 第2章 わかばマークの時代
 第3章 「アラブ」か「アブラ」か
 第4章 深層のイラン革命
 第5章 アブダビで網にかかった金賢姫
第2部 湾岸危機の体験
 第6章 人質事件発生(日誌から)
 第7章 人質解放までの紆余曲折
第3部 中東活断層に触れて
 第8章 自爆テロの系譜
 第9章 イラク始末記
第4部 アラビストの視点・論点
 第10章 その栄光と挫折
 第11章 外務省人事の死角
 第12章 志は高く、目線は低く
あとがき
*関連年表

まえがき アラビストが綴る中東「ヒューミント」の歴史
 舞台は一九六〇年から二一世紀初頭の中東イスラーム世界。エジプト、サウジアラビア、イラン、イラク、アブダビ……。武力手段を否定している日本の外交。出先公館は自らのもっているソフト・パワー、特に人間ネットワークによる情報収集に努力、国益確保、危機管理、なかんずく邦人保護に努めてきた。「ヒューミント」とはヒューマン・インテリジェンスの略。人間の手による諜報活動、情報収集のことだ。
 超大国米国はもちろんのこと、植民地主義時代の宗主国、英・仏、そしてソ連(露)などの列強は、軍事力と武器売り込みを手段とした中東外交を展開してきた。戦後日本はこのような海千山千のベテラン国家と互角に独自の外交を展開しようとしてきた。その一つの駒がアラビスト片倉、すなわち私だった。その回顧は人生のわかば運転中のカイロにはじまる。一九七三年石油危機に当たって日本外交のアラブ寄りの転換。一九八○年革命・戦争・人質、三重苦のイランにおいて体験した邦人の退避。一九九○年~九一年湾岸危機においては米英仏独と同じ陣営で独裁者フセインに対抗しスクラムを組んだ日本は一時約二四○名の人質をとられた。体とみられがちな日本の自衛隊も抵抗勢力のターゲットになりつつあるのが現実だ。
 これまで孜々営々として積み上げてきた中東における日本の「友好の貯金」はここに至って減る一方だ。イラクやパレスチナのみでない。これまで親日的・知日的だった中東イスラーム地域の友人たちが、米国の軍事的プレゼンスの一部分として日本自衛隊がイラクに駐屯していることに対し、アラブ・イスラームの自己認識、伝統と文化を損ね傷つけるものと受けとめ、また、かって同じアジアの近代化先輩国、日本に対し抱いていた発展のモデル、いわば「仰げば尊し」の理想像が崩れつつあるのか、日常の会話でも幻滅、失望、フラストレーションがぶつけられることが多くなった。サマワで治安維持の責任を有するオランダ軍の駐留期限も迫っているし、最近米国さえも撤退の可能性をちらつかせるようになったが、日本の「独自な」指揮命令系統なんだと虚勢をはって見せるのもいいが、それではその裏付けになる独自の情報収集活動があるのか? 二〇〇五年一月に予定される総選挙の行方、新生イラクの将来像に鍵を握る人口六割のシーア派の動向、自衛隊駐屯地サマワを取りまく治安状況について日本の伝統的なヒューミントによ第11章において私はエジプト、サウジアラビア、イランなど中東主要国において全く中東勤務の体験のない「腰かけ大使」が、なかばいやいやながら、赴任している状況が続いていることを指摘し、この霞ヶ関のアナクロ人事体制を日本中東外交の「死角」としてとり上げている。

二〇〇四年十二月吉日 片倉邦雄

目次

第1部 激動の中東を生きて(中東への開眼;わかばマークの時代 ほか)
第2部 湾岸危機の体験(人質事件発生(日誌から)
人質解放までの紆余曲折)
第3部 中東活断層に触れて(自爆テロの系譜;イラク始末記)
第4部 アラビストの視点・論点(その栄光と挫折;外務省人事の死角 ほか)

著者等紹介

片倉邦雄[カタクラクニオ]
1933年、東京生まれ。宮城県出身。60年、東京大学法学部卒、外務省入省。アラビア語研修官補としてロンドン大学、MECAS(英国外務省アラビア語研修センター)およびカイロ大学に留学。国連代表部一等書記官、中近東第二課長、イラン大使館公使、英国王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)客員研究員、バンクーバー総領事を経て、86年より89年まで駐アラブ首長国連邦大使、90年より91年まで駐イラク大使、91年より94年まで国際交流基金専務理事。同年8月より3年間駐エジプト大使。98年より第2回東京アフリカ開発会議(TICAD2)政府代表。99年1月外務省退官、同年4月から2004年3月まで大東文化大学国際関係学部教授。21世紀イスラーム研究会代表幹事など
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感想・レビュー

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トギエモン

1
中東の外交官だった片倉 邦雄氏が自身の経験を記した本。 柳田邦男『狼がやってきた日』に載っていた、園田直外相がエジプトを訪問した際挨拶の際に発したとされる「正義を行えば世界の半分を怒らせる」との発言が本当にあったのか知りたくて読む。 狼がやってきた日には、1973年12月の三木副総理が1973年のオイルショックの折り、事態打開の為に中東歴訪し、エジプトに来た際、挨拶にアラブの諺を枕にしたことが好評であり、園田外相も同じくアラブの諺である「正義を行えば~」との諺を枕にしたとされている。2025/06/03

カネコ

0
2011/10/06

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