内容説明
1950年代初頭の最初の監督作品から、1999年3月の彼の死のたった6日前に完成した遺作『アイズ・ワイド・シャット』に至るまで、これまで公開されることのなかった多くの写真によって、撮影中のキューブリックの実像が初めて明らかにされる。キューブリックの子ども時代の写真、そして1940年代末の『ルック』誌の専属カメラマンとしての彼の写真群は、20世紀前半のアメリカの生活や、キューブリックを育んだ心象を見事にとらえている。クリスティアーヌ・キューブリックが撮影したポートレートや家族写真は、これまで謎につつまれていた映画作家のプライヴェートな面を明らかにしている。キューブリックの死後も、キューブリックの仕事は終わることなく、彼が企画した『A.I.』はスティーブン・スピルバーグに引き継がれ、本書にはキューブリックがクリス・ベーカーと作成した『A.I.』の数枚の絵コンテが含まれている。キューブリックの作品の配役とクレジットの決定版と、スティーブン・スピルバーグのまえがきが本書には掲載されており、キューブリック・ファンにとって欠かせぬ一冊であるばかりか、スタンリー・キューブリックの生涯と彼の功績に捧げられものとしてこれほどふさわしいものはない。
目次
スタンリー・キューブリック年表
スタンリー・キューブリック 写真で見るその人生(1928年‐1964年;インターミッション;1965年‐1999年)
付録 配役とクレジット:スタンリー・キューブリックの映画
著者等紹介
キューブリック,クリスティアーヌ[キューブリック,クリスティアーヌ][Kubrick,Christiane]
旧姓はクリスティアーヌ・スザンヌ・ハーランと言い、俳優名はスザンヌ・クリスティアーヌを使用。1958年にスタンリーと結婚して以来、俳優業から退き、現在に至るまでの40年間は画家として活動。結婚生活は41年間に及んだ。1932年ドイツ生まれ。自身は絵の道に進みたかったが、オペラ歌手であった両親は彼女を舞台の仕事につかせようとして、女優となる。テレビに出演していた彼女を、『突撃』撮影のためドイツ滞在中のキューブリックが見そめ、『突撃』に出演させる。それがきっかけでキューブリックと結婚し、ロサンゼルスに移り住んで、UCLAなどで絵画の勉強を続けた。1960年代にロンドンに転居した後、絵画の展覧会を開いたり、絵画の団体の会長に選出されたりしている。1990年には画集Christiane Kubrick Paintingを出版。さらにはパーソナル・コンピューター、マッキントッシュを使って舞台美術のデザインを担当したり、彼女や娘のアンヤなどと創立したHocus Ltd.でオペラや彼女自身の絵に関するマルチメディア作品を制作している。夫の死後も、絵画の活動を積極的に行っている
浜野保樹[ハマノヤスキ]
1951(昭和26)年生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。国際基督教大学助手、新潟大学教育学部助手、メディア教育開発センター助手を経て、東京大学大学院新領域創成科学研究科教授。工学博士。コンテンツ制作に関する研究開発に従事。財団法人黒沢明文化振興財団理事、財団法人徳間記念アニメーション文化財団評議員、メディア芸術祭運営委員、AMDアワード審査委員長、デジタルコンテンツグランプリ審査委員、日本映画テレビ技術大賞審査委員など
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感想・レビュー
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keroppi
mizzan72
貝塚イブキ