内容説明
仏教の歴史のなかに聖者はいたのか、いなかったのか。素朴な問いに端を発する仏教の聖者への関心は、やがて信仰の内実へとつながる大きな問いに発展していく―仏教史に名を残す学派の祖師や学僧たちは、どのような修行を行い、いかなる宗教的階位に到達したのか。原典資料を読み解き、誤った理解が蔓延する仏教の聖者観を問い直す。巻末に基本用語集を収録。
目次
序
第1章 聖者を表す言葉
第2章 聖者を騙ると…
第3章 安易な聖者化―語り物的な描写
第4章 聖者の数
第5章 聖者になる修行
第6章 仏教から道教へ、キリスト教へ
第7章 理論と信仰の狭間で
第8章 「異香、室に満つ」
終わりに 聖者伝は史実か、願望の記録か
著者等紹介
船山徹[フナヤマトオル]
1961年栃木県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士後期課程中退。京都大学人文科学研究所教授。プリンストン大学、ハーヴァード大学、ライデン大学、スタンフォード大学等において客員教授を歴任。専門は仏教学(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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さとうしん
11
仏教の聖者はどういう存在と見られてきたのか、人はどうすれば聖者になれるのかを追う。第四章の、中国では儒教の聖人論との絡みもあり、聖者になれる人は多いという議論と、聖者になれる人はごく少ないという議論とが並行して存在していたという話を面白く読んだ。人は努力次第で聖者になれるのか、はたまたそういうものではないのか?インド仏教の僧名や時間論に関するコラムも参考になる。2019/11/02
非実在の構想
2
聖者とされる初地がスタートにしてゴールである二重性は、菩薩の衆生済度という誓願がスタートにしてゴールであることが凝縮されたものであるという指摘に惹かれた。華厳経の初発心時便成正覚はそういう意味で解するのがよいのかなとなんとなく思った。2019/06/09
ヨシツネ
1
初地の二重性、スタートでありゴールであること、尊敬された聖者伝の願望と確信、など仏教の聖者とは何か、聖が場所ではなく人に掛かること、何故始祖すら修行の初期までしか到着できなかったのかという問題に答えてもらえた 2019/10/20