内容説明
今から60年前の昭和19年(1944年)8月22日沖縄から本土に向かった学童疎開船対馬丸はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃を受け、深夜の海に沈んだ。乗船者1661名、うち学童800余名。生き残った学童はわずか59名にすぎなかった。
目次
いのちがけの教育
行くも地獄、残るも地獄
親と子と
不気味な前夜
集合
たそがれの出航
無邪気な乗客
今晩はあぶない
撃沈
死とたたかう漂流
役に立った手旗(仲宗根正男の話)
助けあいながら(阿波連休子の話)
幼い知恵と意志で(宮城啓子の話)
わんぱくも参った(田場兼靖の話)
泣きべそと夜光虫(名城妙子の話)
愛児の死をみながら(田名宗徳の話)
むなしい上陸
校長が殺したか
燃えろ、燃えろ…
著者等紹介
大城立裕[オオシロタツヒロ]
大正14年9月19日、沖縄県中城村に生まれる。昭和42年上期、「カクテル・パーティー」で第五十七回芥川賞受賞
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感想・レビュー
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ヒラP@ehon.gohon
22
淡々と語られる疎開船対馬丸の沈没に至るまでの経緯、生存できた人の見た地獄を、少し距離感を持って読んでしまいました。 それほどに戦争は遠い過去になってしまったのです。 誰が責められるべきか問えない状況、みんなが必死だったのですね。 しかも対馬丸の沈没をしのぶ間もなく、沖縄に戦火が拡がると文章は急に止まってしまいます。 そして、言いようのない悲しみに呑み込まれてしまいました。2021/07/26
イノ
4
僅かな生還者の言葉の中に沢山の犠牲者の亡くなっていく姿が浮かぶ。あとがきに1961年から刊行し、新たな資料を加え改版を重ねている事が述べられている。後世まで伝えて欲しい貴重な作品だ。2015/05/21
あこん
0
証言2019/01/10