出版社内容情報
太平洋戦争末期、東海地方を襲った2つの巨大地震。軍事機密の漏洩や戦意喪失防止のため、被害状況に関する報道が厳しく規制されるなか、被災地の有力紙=中部日本新聞は何をどのように伝えたのか。全国紙と比較し、地元新聞社の果たした役割を考察。被災者たちの貴重な体験談を紹介し、防災教育の促進と意識の向上を呼びかける。注目作を新装復刊。
内容説明
太平洋戦争末期、東海地方を襲った二つの巨大地震。戦時報道管制下、地元紙=中部日本新聞は何をいかに伝え、役割を果たしたのか。被災者の体験談を紹介し、防災教育の促進と意識向上を呼びかける。注目作を新装復刊。
目次
第1章 地震はいかにして隠されたのか
第2章 どのように報道されたのか
第3章 正確な災害情報を得るには
第4章 物語『稲むらの火』がもたらしたもの
第5章 過去の災害の教訓をどう生かすか
第6章 知っておきたい情報とは
第7章 災害の経験を次世代につなぐ
著者等紹介
木村玲欧[キムラレオ]
1975年東京都生まれ。1998年早稲田大学人間科学部卒業。2004年京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了。名古屋大学大学院環境学研究科助教、富士常葉大学環境防災学部准教授等を経て、兵庫県立大学環境人間学部・大学院環境人間学研究科教授。博士(情報学)(京都大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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小鈴
23
1944年12月7日にマグニチュード7.9の東南海地震、37日後の1945年1月13日にマグニチュード6.3の三河地震、こちらは前者の誘発地震。関東大震災クラスの地震なのにまったく知らなかったのは、戦争で情報統制されていたため。国内では報道統制されている上に東京は空襲を受けているのでそれどころではなかったのかもしれない。全国紙の扱いは小さい。国内では隠されていた東南海地震だが、これほどの地震なので世界各地の地震観測所の観測でバレていた。尚、東南海地震の六日後の13日に名古屋初の空襲。米軍は容赦しない。2020/10/02
圓子
4
歴史と今が繋がっていると実感できる好例。報道管制下においても、被災住民のための情報を発行していたという記者の意識と行動に頭が下がる。第三章以降の被災体験談とそこから発展しての第七章。役に立たなくたって歴史は必要と信じるが、こうしてわかりやすく現代に活かせる面があるとすごく心強い。そして私は自分の街のハザードマップをいそいそと確認しにいった。ネットではすこぶる見づらい仕様になっていた。市民の気づきである。2021/05/05
卓ちゃん
1
1944年12月7日の東南海地震はよく聞くが、1945年1月13日の三河地震のことは知らなかった。戦時中は、戦況に影響を与えるものについては一切の報道が禁止され、これらの大災害は「隠され」た。さて、学校の防災教育は外から呼んだ講師にやってもらう一つのイベントであって、そこでよその地域の阪神・淡路大震災を紹介されても、ピンと来ない。過去、日本全国、どこでも何らかの災害が起きている。地元で過去に起きた災害を知ることで、「わがこと意識」を持って、災害への「備え」ができるようにしていくことが大切、と説く。2021/02/18
oritako
1
前半は報道管制の下でどのように地震が報道されたのかについて。後半は体験談をもとに防災の観点からの考察。これほどの災害が隠蔽されていた時期があったことにも驚く。2020/10/07
緑のたぬき
0
1944年東南海地震と1945年の三河地震について。戦時統制下で被害状況を報道禁止された中、地震を新聞メディアがどう報じたかと被災者の証言をまとめたもの。読売などの新聞は報じず、東海地元紙の中日新聞が被害状況と支援策を伝えていた。観測網も整備されておらず、地震と津波が連動すると知らない山岳、他県出身者が津波に巻き込まれた。海外は地震情報を計測、被害予測をしていたのに、無能軍部は国内報道は規制。2023/11/26