内容説明
大阪府高槻市に位置する阿武山古墳。今回、古墳発見当時のX線写真の新たな解析などから、藤原鎌足墓説が強まった。終末期古墳・遺骸とさまざまな副葬品・乾漆棺などの諸問題を探り、阿武山古墳の真の被葬者に迫る。
目次
基調報告 実録・阿武山古墳
基調講演(阿武山古墳の発見;染織史から見た阿武山古墳出土の金糸と織冠;阿武山古墳は鎌足墓;阿武山古墳の石槨の構造と年代;鎌足墓と攝津三島の阿威山―乾漆棺、乾漆像の世界と漆部氏;大化改新と難波宮;中臣鎌足と中大兄皇子;阿武山古墳と中臣氏・藤原氏)
徹底討論 中臣(藤原)鎌足と阿武山古墳
特別寄稿(終末期古墳とその被葬者;被葬者頭部の染職片について)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
坂津
2
継体天皇の真陵と目される今城塚古墳。そのすぐ近くにある今城塚古代歴史館を訪れた際に、初めて阿武山古墳の存在を知った。1934年に偶然発見され、ミイラ化した遺骸と共に豪華な副葬品が出土したものの、十分な考古学的調査は行われないまま埋め戻されてしまった特異な古墳。本書では、2013年に高槻市制施行70周年記念事業として開催されたシンポジウムの講演と討論を中心に採録している。古墳の年代や副葬品から判断すると藤原鎌足が被葬者として有力視される一方、史料との整合性や土器の編年から慎重な意見も存在すると知った。2020/06/27
遊動する旧石器人
0
阿武山古墳の被葬者は誰か。鎌足説が優勢であるが、御食子説もあり、鎌足の墓所の史料に曖昧さがある文献史側の弱点、周溝から出土した須恵器の年代に意見が割れ埋葬施設との年代関係を詰めきれない考古学の弱点もあり、結論は出ない。埋め戻されて文化財としても保存として問題があるため、解をだすためにも、保存をするためにも、再発掘が望まれる。2015/05/13