戦争に隠された「震度7」―1944東南海地震 1945三河地震

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  • サイズ A5判/ページ数 193p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784642082563
  • NDC分類 369.31
  • Cコード C1021

内容説明

太平洋戦争末期、東海地方を襲った二つの巨大地震。戦時報道管制下、中部日本新聞は地元新聞社として何をいかに伝え、その役割を果たしたのか。被災者たちの体験談を紹介し、防災教育の促進と意識向上を呼びかける。

目次

第1章 地震はいかにして隠されたのか
第2章 どのように報道されたのか
第3章 正確な災害情報を得るには
第4章 物語『稲むらの火』がもたらしたもの
第5章 過去の災害の教訓をどう生かすか
第6章 知っておきたい情報とは
第7章 災害の経験を次世代につなぐ

著者等紹介

木村玲欧[キムラレオ]
1975年東京都生まれ。1998年早稲田大学人間科学部卒業。2004年京都大学大学院情報学研究科博士後期課程修了。名古屋大学大学院環境学研究科助教、富士常葉大学環境防災学部准教授等を経て、兵庫県立大学環境人間学部・大学院環境人間学研究科准教授。博士(情報学)(京都大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

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サトシ@朝練ファイト

29
三河地震は安城市南部〜西尾市〜蒲郡市に至る約20キロ×10キロの狭い範囲に被害が集中。前年に起こった東南海もそうだが戦時中のため、意図的に隠された地震である。2017/01/28

はるわか

3
1944(昭和19)年12月7日東南海地震[マグニチュード7.9、震度7、10分後に津波9M、死者1223人]、37日後の1945(昭和45)年1月13日三河地震[マグニチュード6.8、震度7、死者2306人]。大平洋戦争末期の報道管制下の隠された地震。南海トラフ、100~200年ごとにマグニチュード8クラスの巨大地震。1854年安政東海地震・安政南海地震(32時間内)。1707年宝永地震。フィクション「稲むらの火」、潮は引かなくても津波は来た。言い伝えによる先入観に基づいて「・・・だから大丈夫」はダメ。2014/10/19

kentake

3
東日本大震災の様々な記録の中には、昭和や明治の三陸地震の教訓が活かされたか否かが明暗を分けたという事例が少なくない。時間と共に経験者が減る中で、過去の記録をどのように後世に伝えるかが大きな課題となる。しかし、本書で扱われている東南海地震や三河地震のように、記録自体が残されていないか極めて限られている場合は、更に課題が多いことが分かり、愕然とした。2014/08/03

ままごん

2
戦争中で、軍事産業が集中していた地区で起こった地震でもあり、こんな大きな被害が出ていたにもかかわらず隠されて、大半の日本人は知らなかったのに、世界的にはちゃんと観測されて知られていたという事実。それでも自治体やマスコミのオリジナルの資料や写真などが残っていたのには驚きました。現代の社会では、磁気データが失われてしまったら「OUT!」ですよね。そういう意味で、今、首都直下地震などが起こったら、隠すつもりはないにしても将来の検証の役に立つ資料はちゃんと残るのだろうか、疑問に思いました。2014/09/04

たろ☆

1
1944年12月7日午後1時36分、紀伊半島の沖合でM7.9の地震が発生。その37日後、1945年1月13日午前3時38分、愛知県三河地方でM6.8の地震が発生。いずれも震度7という大きな地震だったにも関わらず、戦時中の報道管制下にあったため正確な被害情報が報道されなかった。結果として被災者の救護活動が遅れ、被害が拡大。教訓としてその後の防災に活かされることもなかったーー。 いかにして情報が隠蔽され、当局の都合のいいようにされたか、ということに焦点を当てているのではないかと思っていたのだが…。 実際に2015/02/23

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