内容説明
カクレキリシタンは隠れてもいなければキリスト教徒でもなかった!仏教の仏も、神道の神も、キリシタンの神々も三位一体の如く拝み続けた人びとの信仰に迫る。
目次
1 カクレキリシタン誕生(日本人とキリスト教の出会い;潜伏キリシタンとカクレキリシタンの発生;信仰の継承とその組織)
2 オラショと行事(カクレキリシタンの祈り―オラショ;カクレキリシタンの行事;お授け(洗礼)と房し方(葬式))
3 信仰の実像(信仰の本質とその仕組み;どんな神様を拝んでいるのか;なぜキリスト教信徒数は増えないのか)
著者等紹介
宮崎賢太郎[ミヤザキケンタロウ]
1950年長崎市に生まれる。1975年東京大学文学部宗教学宗教史学科卒業。1978年東京大学人文科学研究科宗教学宗教史学修士課程中途退学。現在、長崎純心大学人文学部比較文化学科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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mj
42
いわゆる隠れキリシタンの実像に迫った内容。その行事、組織、オラショなどを丁寧に取材していて、まさに実像が浮かび上がるよう。だが、「ここでいうカクレキリシタンとは、江戸時代のキリシタン弾圧下で、キリシタン信仰を隠して継承してきた人々のことでは」なく「明治に入ってキリシタン禁令の高札がおろされ、信仰の自由が認められたのちも、仏教の仏様も、神道の神々や民俗神も、そして先祖代々伝わるキリシタンの神々もそれこそ三位一体の神様のように拝み続けて今日に至っている人々のこと」だと。2017/11/18
めまい
8
不勉強なため教科書の「隠れキリシタン」の記述を鵜呑みにしてきた自分には目から鱗の内容だった。なかなか馴染みない「カクレキリシタン」の実体。それが大多数の日本人の信仰、ほぼ形骸化したお盆やお墓参りをぼんやりと、でも連綿と続けている=「祖先信仰」という点にて繋がるのが面白かった。「祖先」「神」とは言いながら、同時にもっと身近な人を思い浮かべているのかなと。一神教では許されないタブーを緩やかに内包する、日本は本当に独特な国だなと思う。2022/10/10
leekpuerro
7
隠れキリシタンはキリスト教とはもはや別物であるとは知らなかった。てっきり明治辺りで全員キリスト教徒になったと思ってた。実はキリスト教の教義を理解してた日本人は殆どいなかったとか、江戸時代の宣教師は天国に行くために処刑されたがってたなど、面白い事が書いてある。隠れキリシタンを辞めた後に仏教徒になる人が8割神道が二割弱、カトリックになる人は1%も居ないという話が衝撃的。2014/05/30
belier
6
カクレキリシタンの実像を実地で調査した研究結果。カクレキリシタンはキリスト教とはいえず、日本によくある多神教的な民間信仰の一つという結論。なんとなくだが、著者の上から目線的なところが気になる。学者にしては雑なステレオタイプ的な文化論もある。そんなものかもしれないと思う反面、どうも鵜呑みにしてはいけないような気もする。2018/05/18
ybhkr
6
カクレキリシタンはクリスチャンにあらず。先祖から伝えられた儀式を守ることを第一に考え、ひとつの民間信仰に近いものだと考えられる。寺も神社も守っているし、カトリックとは相容れない。しかし、課せられた伝統はカトリック以上に厳しい部分がある。家にいながら出家しているよう。これが廃れるのは勿体ないと思う半面、わたしが渦中にいたら一番に逃げ出すだろう。女性差別と女性の負担が大きさから、反発したに違いない。男性だったとしても受け継ぐことに積極的にはなれないだろう。オラショ、ぜひ生で聴いてみたいものだ。2015/03/30