内容説明
太平洋に面した温暖な東海、日本海からの風雪が避けられない北陸、険しい山岳地帯の内陸。自然環境が大きく異なることで、多様な軍事施設の配置が特徴である中部地方の実態に迫り、各都市と軍隊との関わりを描き出す。
目次
1 東海(東海軍都論―豊橋と、関連しての名古屋・浜松;航空軍都浜松の成立と変遷)
2 北陸(軍都金沢と第九師団;“廃師軍都”高田の戦時;日本海と軍都敦賀)
3 内陸(内陸の都市と軍隊―長野・山梨)
著者等紹介
河西英通[カワニシヒデミチ]
1953年、北海道生まれ。1976年、弘前大学人文学部卒業。1979年、立命館大学大学院文学研究科修士課程修了。1985年、北海道大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。現在、広島大学大学院文学研究科教授博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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nnpusnsn1945
36
豊橋、名古屋、浜松らの東海地方、金沢、高田、新発田、敦賀の北陸地方、そして長野、甲府といった内陸地方の軍事施設について取り上げられている。豊橋、高田は師団が廃止され、連隊が残った軍都として知られている。名古屋や豊橋については、中国近現代史学者の広中一成先生の著作に関連事項が多いので併読を推奨する。『後期日中戦争』は太平洋戦争中の第3師団を、『語り継ぐ戦争』では、豊橋の連隊についての説明があり、実際に歩兵第18連隊の隊員だった杉浦右一伍長の証言記録もある。なお、同氏の証言はネットでも公開されている。2023/07/30
組織液
10
中部地方の都市と軍隊の関わりについて述べられた本です。といっても各都市によって事情は違うようで、特に日本海側や旧城下町の都市は目立った産業がなく開発の遅れもあったため、経済など様々な面で軍隊と密接な関係を築き、戦後も自衛隊の誘致を行った所もあるそうですね。「軍隊は最大の消費人口」かぁ。私も鄙びた田舎出身なんで、明治維新後に急速に衰退した金沢が、軍隊の誘致に活路を見いだそうとした思いは何となく分かる気がします。もし他のシリーズを読むなら、次は北海道・東北の巻にしたいです。2022/07/20
yoneyama
4
土地勘のある松本、甲府、豊橋、名古屋に注目して読んだ。 両都市とも連隊から駅に向かう通りには朝日とか曙とか旭という地名や商店街がある。そのころ、軍御用達の商店や、面会家族の泊まる民宿や、食堂などがあった。出征、凱旋、葬儀などの隊列が歩いた。連隊跡地は新制大学や付属小中学校になった。練兵場、射撃場の跡地は運動公園や市営団地。どちらの街でも近くに住んでいたので思い当たる名残がある。旭に関係する地名は軍の旭日旗が由来か。もう誰も思い出さないけれど。2015/01/25
コカブ
3
中部地方と軍隊の関わりについて書いた本。豊橋と第十五師団、浜松と陸軍航空部隊、金沢と第九師団、高田と第三十連隊、敦賀と第十九連隊の他、名古屋・新発田・松本・甲府を取り上げている。名古屋を別とすると、取り上げた都市はいずれも大きくなく、経済的に軍隊に依存する度合いが高かった。街の存続のために軍隊を誘致した面があり、宇垣軍縮の時は街を挙げて存続運動をしている。豊橋が浜松等へのライバル意識をむき出しにして活動したという点は面白かった。また、ヤマハが陸軍機のプロペラ制作を行うなど、産業の発展にも貢献したという。2015/06/30
剛田剛
2
軍の存在を「無かったこと」にしたがってきた戦後の日本社会ではあるが、実際には徴兵され教育された男たちが家に持ち帰った文化や、1000人単位の消費者が常住する駐屯地の経済効果などは日本の社会を構成する大きな要素だったはずである。今の我々の社会がこのような社会である理由のうちの相当部分は「軍隊」に求めることができよう。2020/01/31
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