内容説明
秀吉政治の「後継者」争いだった大坂の陣。関ヶ原合戦以後も西国を掌握できなかった家康権力の脆弱性を実証しつつ、“敗者”秀頼がこだわった大坂の有する重要性を指摘。首都をめぐる豊臣・徳川最後の攻防戦を描く。
目次
秀吉政治の継続をめぐる問題―プロローグ
1 秀吉政治の継続とその実態(西国大名の同行と戦争への準備;後継者秀頼の立場;秀吉死後の直臣団配置;秀頼の鷹狩り)
2 秀吉政治の後継を目指す家康(家老片桐且元野存在と二条城会見;慶長十六年の領内検知と徳川方の地行宛行;家康の対外政策;秀頼の成長)
3 勝敗の転機(秀頼の健康状態と朝廷の動き;秀頼の知行宛行;秀頼の材木調達;二条城会見の動き;引用史料の紹介)
4 大坂冬の陣(方広寺鐘銘事件と両陣営の対決;鴫野・今福の戦いと野田・福島の戦い;真田丸をめぐる戦いと講和条約;冬の陣の群像)
5 大坂夏の陣(講和後の大坂方と戦闘開始を急ぐ徳川方;大坂湾の支配をめぐる戦闘と樫井の戦い;戦闘の本格化;最後の決戦と牢人狩り;夏の陣の群像)
秀忠政治への展望―エピローグ
著者等紹介
曽根勇二[ソネユウジ]
1954年静岡県静岡市に生まれる。1977年東洋大学文学部史学科卒業。1979年東洋大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、横浜都市発展記念館・横浜ユーラシア文化館職員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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浅香山三郎
13
「敗者の日本史」のシリーズの1冊。秀吉死後、秀吉政治のシステムの継承を巡つて、家康と秀頼が争い、その最終決着が大坂の陣であつたと説く。大坂の西国支配における重要性、京都(伏見)―大坂を軸とする首都圏を把握することが家康が全国支配をする上でネックになつてゐたことなど、関ヶ原以降の豊臣秀頼の立場をも明らかにしてゐる。片桐且元の存在により、徳川に押されながらも首都圏に勢力を保ち続けた秀頼の動向にも紙幅を割いてをり、笠谷氏の言ふ「二重公儀体制」の実態のやうなものが分かるのが興味深い。2016/12/23
keint
5
大坂の陣に至るまでのプロセスを大阪の都市的な性格を重点において解説している。 冬の陣の講和条件に外堀を埋めることは両者合意済みであったことは初めて知った。(豊臣方が遅延していたため、徳川方が早期破壊した。)2019/10/05
マウンテンゴリラ
3
関ヶ原以降の徳川家康と豊臣秀頼を中心とした政治の動向を、史実に忠実に追ったという印象の解説書であった。細部については新たに知ることも多く、また、大坂夏の陣という、見方は色々あると思うが、時代区分で言うと中世の最後の舞台が、地理的に身近な大阪城であり、それをめぐる攻防の一部が、さらに身近な大阪市平野区辺りであったということに、あらためて深い感慨を覚えた。本書を通して得られた歴史の大枠での理解は、概ね私がこれまで抱いていたイメージ通りであった。しかし、やはり年齢と経験から当然と言えるかもしれないが、→(2)2022/03/24
山田太郎
3
大河ドラマ真田丸を観ていたので、史実はどんなだろう?と思い読んでみました。真田幸村や後藤又兵衛が活躍した時代を詳しく知りたい人には興味深い本だと思います。2017/01/06
狐狸窟彦兵衛
3
著者は、秀吉後の豊臣政権を「秀頼」という「アイコン」でひとくくりにして論を展開していますが、ちょいと、それは乱暴ではないかと思います。 坊や一人には荷が重すぎましょう。秀吉政権の後継者争いの経緯を緻密に実証的に追っている姿勢は非常に好感が持て、時系列的にも理解のし易い解説です。ただ、なぜ、秀頼を奉じた母・淀殿はじめ、秀吉政権の後継者たちが「滅び」「敗者」への道を、後から見れば誰が見ても、あーーーー、滅びるなという道を歩み続けたのか「敗者の日本史」と構えて副題をつけるなら、ちゃんと解説してほしかったなぁ。 2014/05/23