承久の乱と後鳥羽院

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承久の乱と後鳥羽院

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  • サイズ B6判/ページ数 278,/高さ 20cm
  • 商品コード 9784642064521
  • NDC分類 210.1
  • Cコード C1321

内容説明

鎌倉と京、公武権力構図の転換点とされる承久の乱。治天の君=後鳥羽院が歌に込めた「道ある世」への希求とは何だったのか。諸史料を中心に、協調から武闘路線への道をたどり、隠岐に配流された後鳥羽院のその後にも迫る。

目次

1 承久の記憶(近世の記憶;近代における「承久の記憶」;中世の組み換え;「至尊」と「至強」)
2 承久の乱の諸相(承久元年―武家の危機;承久二年―深まる危機;承久三年―公武闘諍)
3 敗者たちのそれぞれ(後鳥羽院と至尊たち;公卿たちの周辺;武士たちの周辺)
4 後鳥羽院のその後(隠岐の後鳥羽院;京都と鎌倉のその後;無常の道へ)

著者等紹介

関幸彦[セキユキヒコ]
1952年北海道に生まれる。1985年学習院大学大学院人文科学研究科史学専攻後期博士課程修了。現在、日本大学文理学部教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

小鈴

20
この本を1章まで読んであまりに面白く、承久の乱まで補助線を引いて日本社会を考えて身震いしたのでメモる。日本の歴史は、至尊=王朝(天皇)と至強=武家(軍事集団)の同居か別居かの反復である。至強が独立したのが承久の乱後なのだ。そして、公武合体は一瞬しかない。つまり、至尊にとって暴力、軍隊(国家として暴力の集中)をいかに手なづけるのかという歴史であって、どうやら21世紀の現在において未だにそれは達成されていない!➡2017/04/12

小鈴

17
後鳥羽院とは日本国の権力構造の行方を占う存在である。王家内部の至尊の争いではない。武力による簒奪と実効支配による東国の武威、至強との対抗。海に沈んだ安徳天皇のあと天皇となった後鳥羽院は、動乱の時代に頼朝から三代かけて取り込み、実朝と和歌を通して親交を深め、姻戚関係となり、頼朝以来官位と距離を置いていた鎌倉殿に右大臣を与えた。ついに、至尊であり至強であるべき自身の下に公武両方を補翼する時がきた、まさにその時、実朝は暗殺される!心中いかばかりか。承久の乱で負け、日本では公武均衡型の権力体系は成立しなかった。2017/04/13

MUNEKAZ

10
承久の乱を後鳥羽院側から考察した一冊。京と鎌倉、二つの王権の争いの中で、まずは「文化」で将軍の懐柔を企んだ院の動きは実朝暗殺で頓挫し、次なる一手として内紛による幕府の自壊を目論む。院の綸旨が「北条義時の排除」を掲げるのはその証左であるし、北条側もそれを「幕府の危機」にすり替え、御家人たちの危機感を煽ったのも面白い。また西国の御家人には、幕府だけでなく院や貴族にも家礼として仕えるものもおり、院側の戦力として動員されていたのも、この乱が単純な公武の対立ではないことを示していて興味深かった。2018/06/21

吉田裕子

7
「敗者の日本史」の名の通り、承久の乱に関し、敗者の後鳥羽院の側を中心に描く。一年単位で双方の動向や駆け引きを描く部分がおもしろい。どうしても政子が高らかに演説した印象が強いが、そこには巧妙なすり替えがあったのだ。実朝没後、専横を極める北条氏、その義時を討つというのが後鳥羽院の院宣であったのに対し、鎌倉方は、鎌倉幕府全体への挑戦状だと捉え直すことで、御家人をまとめたのであった。2021/05/07

keint

6
承久の乱を京側から描いている。 承久の乱自体の研究史に触れられているのが本書の特徴の一つでもある。(戦前では承久の変→建武中興→明治維新としての一連の流れで捉えられていたようである。) ただあとがきでも断っているが、本文よりもはるかに長い注釈がついてるところがたくさんあったため、読みづらい箇所が多かった。2019/09/01

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