内容説明
政変の続く奈良朝において、称徳女帝と共治体制を目指し、宇佐神託事件で失脚した道鏡。今日まで長く悪人イメージが払拭されず、敗者として見捨てられてきた“悪僧”を、古代史の中に位置付け再評価。その実像に迫る。
目次
1 運命の出会い(保良宮のこと;看病禅師道鏡 ほか)
2 法王道鏡の誕生(朕が仏の師;道鏡と大嘗祭 ほか)
3 神託事件の真相(皇太子となるべき人;宇佐八幡宮の謎 ほか)
4 由義宮落日(女帝との日々;永訣)
5 道鏡の功罪(女帝の終焉;神仏隔離)
著者等紹介
瀧浪貞子[タキナミサダコ]
1947年大阪府に生まれる。1973年京都女子大学大学院文学研究科修士課程修了。現在、京都女子大学文学部教授。文学博士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
19
日本のあらゆるところにあった古墳が消え、木造の仏閣・都城と金属の大仏が新たな文明の象徴となった奈良時代。記紀が編纂され、天皇や皇族の真筆が、あたりまえのように残される文字の時代となっても、古来の神々への信仰が仏教に完全にとって変わられたわけではない。孝謙と道鏡は、まさにこの過渡期に、神仏混淆や現代に連なる皇統といった日本文化の基礎を作り上げた。しかし二人の業績のなかで一番大きかったのは、100年ごとの対外戦争の繰返し(〜仲麻呂による新羅侵攻)に終止符をうったことではなかろうか。2019/07/28
紫草
11
道鏡と言えば、教科書にも載ってた「宇佐八幡宮神託事件」。あれが、昔からよくわからなかったんだけど、宇佐八幡の中での勢力争いがあったという。それなら納得というか、腑に落ちる。この辺りは他の方の書いたものとかもう少し色々読んでみたいです。2024/01/09
スズツキ
6
和気清麻呂を読んだので、それとは逆に日本史上に名を残す悪人と呼ばれる清麻呂の政敵、弓削道鏡についての考察を。著者はこれまでの定説であった「道鏡=悪人説」に疑問を抱いて新説を提言する……んだけど、何だかなぁ。道鏡ではなく称徳天皇に非を置いたりしても、内通してるんだからその責任は転嫁されないと思いますが、果たしてどうなのでしょうか。2014/06/22
のぶさん
4
道鏡神託事件についての(少なくとも私にとって)新しい解釈。ポイントを列挙すると ... (1) 道鏡は政治的な権力を握ったわけではなく、あくまでも仏教の世界の指導者としての位置づけであった。(2) 称徳天皇自身が道鏡を皇位につけることができるとは思っていなかった。(3) 神託事件そのものは、中央の政変というよりは、宇佐神宮の神官の間の権力闘争であり、それが中央に飛び火した。(4) 称徳が和気清麻呂を罰したのは道鏡を皇位につけることを妨害したためではなく、道鏡を排除しようとしたからである。2015/04/17
wang
4
怪僧・悪僧としての印象しかない弓削道鏡。彼は本当に仏教政治を行い天皇になろうとしたのか?道鏡が称徳上皇と出会い、彼女の仏師となり孝謙天皇と「共治」した時代をたどる。緻密に史料にあたると法王であれ大臣大師であれ実権を伴った地位ではなく、仏教が政治に取り入れられた後は見られるがそれも大きなものではない。クライマックスの神託事件では前後の叙任歴などから首謀者が誰かやそのとき道鏡や孝謙女帝がどのような想い出あったかまで推理する。二人の愛情や、権力への拘泥、草壁嫡系意識など心理面に迫った良書。2013/08/08