出版社内容情報
仁藤 敦史[ニトウ アツシ]
著・文・その他
内容説明
「大化改新」は東アジア世界のなかでどのように位置づけられるのか。膨張する隋唐帝国への対応を迫られる高句麗・百済・新羅。三国の動向と外交政策の対立をもとに、古代日本の一大画期を新たな視点から再検討する。
目次
隋唐帝国の成立と東アジア諸国―プロローグ
唐帝国の成立と周辺諸国の対応
唐の高句麗征討と六四二年の対応
東アジア情勢と倭国の外交方針
孝徳期の外交基調と「任那の調」
孝徳政権の外交的対立
難波遷都と外交
「大化改新」論―エピローグ
著者等紹介
仁藤敦史[ニトウアツシ]
1960年、静岡県に生まれる。1989年、早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程史学(日本史)専攻満期退学。現在、国立歴史民俗博物館研究部教授・総合研究大学院大学文化科学研究科教授(併任)、博士(文学、早稲田大学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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パトラッシュ
115
大化改新は反蘇我氏勢力による国内事情だけで起こったとされてきたが、実際は当時の外交情勢が深く関わっていた。超大国の政治圧力を受けた近隣諸国は反対派粛清による権力集中で対抗しようとするが、7世紀東アジアでも強大な隋唐と陸続きの高句麗、百済、新羅は直ちに国力強化へ動き、日本も律令制による集権国家をめざした。しかし親新羅外交に傾斜する孝徳天皇と親百済の皇極上皇の対立で政権は分裂し、孝徳帝は政争に敗れ白村江への道が開かれたと見る。日本の政治が「韓政の対立」で左右された、戦力的立場で歴史を見る重要性を教えてくれる。2022/12/03
キムチ
54
かつて学校で学んだ大化の改新が全方位的視点で眺める事に繋がった(大袈裟)筆者の文のとおり露のウクライナ侵攻は国境接する国同士の緊迫がそうでない立場の国と大きく異なることを述べる。大化の改新前夜 乙巳の変から連なる時局の変遷 孝徳期~皇極期 消失した藤原京~難波京の立ち位置(饗応の役目を担っていた筑紫の存在も併せ)が語られる。同様内容を表現を変えくど過ぎる繰り返しが目立つ。あとがきはエッセンスの様相で、これが全てと言えなくもないが。7C 唐は西方の吐蕃、東方の高句麗・百済・新羅への力関係を変容させていく。2022/12/12
MUNEKAZ
13
乙巳の変とそれに続く大化改新を、唐帝国の成立とその覇権という7世紀の東アジアの国際情勢の中に位置づけた一冊。唐の脅威をダイレクトに感じた朝鮮半島の三国、とりわけ新羅と日本の対応を比べてみると、日本側の腰の据わらなさや改革の不徹底ぶりが際立つのが面白い。朝鮮に対する抜きがたい大国意識や親百済か親新羅で定まらない外交路線など、まだまだ対岸の火事として受け止めていただけもしれないと邪推してしまう。結局、白村江での大敗という手痛い教訓を受けて、日本側も新しいステージに突入していくのである。2023/03/12
アメヲトコ
10
2022年9月刊。大火改新の意義を東アジアの国際情勢から再考した一冊です。子供の頃読んだ日本の歴史では、中大兄と鎌足が決起して横暴な蘇我氏を滅ぼし、孝徳天皇を傀儡として改革を行ったという筋書きでしたが、実際は改新の主導者は親唐・新羅路線の孝徳で、中大兄は蘇我氏以来の親百済路線の抵抗勢力だったとのこと。全然違うのね。一方で同じように政変で集権化を急速に達成した新羅に対し、日本での改新が不徹底に終わったのは、国家存亡への危機意識の差異によるものとする著者の見立てには納得です。2023/03/06
パパ
4
大化の改新は中大兄皇子ではなく軽王(孝徳天皇)が中心人物というのは定説になりつつある。では、何が対立軸で、いつごろから中大兄皇子が主導権を握ることになったのかに興味がある。 本書は東アジア、特に朝鮮半島の当時の情勢を踏まえ、蘇我本宗家と軽王との対立軸が、親百済と親唐・新羅であるとしている。全体的に何が論点なのかはっきりしない叙述であるものの、以下のように理解した。親百済の軽王が、親新羅だが入鹿の擁立する古人大兄皇子の即位を阻みたい中大兄皇子を巻き込んで起こしたのが乙巳の変である。2022/09/17