内容説明
越訴すれば本当に首を斬られたのか、むしろ旗のもとに竹槍で武装して集まったのか?百姓一揆の通説的理解を再検討し、近世民衆運動の実態を解明。地域や時代を越えた一揆共通の作法にも迫る、新たな百姓一揆論。
目次
一揆の終焉と百姓一揆(一揆の終焉;百姓一揆とは何か)
近世民衆運動の胎動(一七世紀の諸闘争;直目安と逃散に対する幕府の対応;まぼろしの代表越訴;徒党の成立と定着)
全藩一揆の成立と百姓一揆禁令―百姓一揆の成立(全藩一揆の成立;享保の諸一揆;百姓一揆発令の確立)
百姓一揆の作法論(百姓一揆を組織する;百姓一揆のめざすもの;百姓一揆が獲得したもの「)
著者等紹介
保坂智[ホサカサトル]
1946年、生れる。1981年、早稲田大学大学院博士課程満期退学。1986年、国士舘大学常勤講師。現在、国士舘大学文学部教授
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感想・レビュー
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takao
3
ふむ2023/12/08
ひろただでござる
1
そんな作法があったのか?当時の社会認識では「島原の乱」こそが一揆である(徳川実紀にそう記されている)と言いながら途中からは一揆での百姓が持つ鋤・鍬・鎌・鉄砲などが武器として使われることはなかったと…では「島原の乱」でいいのでは。徳川実紀にそう記されているのは幕藩体制に対して百姓たちが公然と反抗したことを矮小化するためではないかと思える。表現が一定していない、推測を断定している、「作法」に付き物の「タブー」が見当たらないのが気になる。が、最終章の「百姓一揆が獲得したもの」は一揆を起こす側と起こされる側の2020/10/29
FK
0
なるほどと思ったのは、後年、8代将軍吉宗が目安箱を設置することになるが、私の従来からの感覚では、なぜ突然このようなものが出てきたのか、との不審であった。それが氷解する思いをした。吉宗といえば検見法から定免法にしたわけだが、これが農民にとっていかに大変だったかも知ることができた。つまりこれに対する農民の反発が各地で起こるわけだ。そして彼らの動きは公事方御定書できびしく処断されていくことになる。/残念なのはこの出版社のしかも「歴史文化ライブラリー」の一冊だというのに、索引がないことだ。 2005/08/05
taakhero
0
百姓一揆は一揆に非ず。勉強になった。2010/09/27
おテンさん
0
百姓一揆という一見地味なテーマにこれほど胸が熱くなるとは予想できなかった。役人たちが百姓一揆を「ある程度仕方のないもの」と受け入れていたことも、情状酌量の余地があると役人たちを譲歩たらしめるための暗黙のマナーが百姓側にあったことも興味深い。一揆の精神的な繋がりの深さは人同士が疎遠になった現代人には想像できないかもしれない。民主性のない時代に信念を持って生き抜いた名もなき百姓たちへ尊敬の念を抱いた。2022/04/14