内容説明
明治~昭和期の雑誌記者・言論人。政教社を設立し、政治権力から距離をとりながら、社会の事象を雑誌『日本人』などを舞台に論じる一方、独自の思想で日本・日本人像を模索し続けた。晩年に時局を肯定するなど批判精神が失われた起因を探り、従来評される国粋主義者でない稀有の言論人として、近代日本の歩みを体現した生涯を描く初の本格的伝記。
目次
第1 「因循」なる加州人
第2 書生社会から「学生的官吏」へ
第3 『日本人』記者
第4 洋行とその前後
第5 『日本及日本人』主筆
第6 「哲人」か「偶像」か
著者等紹介
中野目徹[ナカノメトオル]
1960年福島県生まれ。1986年筑波大学大学院博士課程中退。国立公文書館公文書研究職を経て、筑波大学人文社会系教授・博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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Book Lover Mr.Garakuta
8
激しい人生を過ごすが、時代の嘲弄に飲み込まれたんだと思う。過激派の代表的存在か。2019/11/10
AKa
6
明治の国粋主義と、記者・評論家全般への興味から。個人的に関心深かったことは、社会主義への接近について。「国粋主義=右翼」とつい短絡してしまうが、当時の社会主義思想の受容の文脈についてさらに勉強が必要であると感じた。ところで、はしがきの「せいぜい各自が関心を有する時代の前後の記述を拾い読みする程度の存在」であるという研究者への批判は、そのような扱いを受ける「人・もの・こと」へ焦点を合わせる必要性、言い換えれば歴史学の可能性を示す文であると言えないだろうか。2019/12/17
Ohe Hiroyuki
4
三宅雪嶺は。幕末から明治大正昭和の敗戦まで生き抜いた。何度も発禁になりながら雑誌の発行を継続していることは、驚嘆であり、近代のリアルを示している▼三宅雪嶺は、金沢出身であり、東京大学(帝國大学の前身)文学部哲学科卒業である。卒業後は、東京大学編輯所に勤め、宮崎道三郎、小中村清矩らと同じ所属であったという。三宅雪嶺のスタートは哲学であった。▼哲学に基礎を置き、世情について語る三宅雪嶺の言葉は多くの人々にとって参考になったのであろう。晩年には批判精神が失われた、とあるが、晩年まで言葉を発していることがすごい。2025/04/26
Ryosuke Kojika
3
動機は単にゼミの先生。学問に誠実に取り組み始めたのは院に行ってからです。なので、あまり著者の研究にも関心が薄い駄目門下生。そんな私の感想。記者としての三宅を再評価すべしという意図から、生涯を描いているが、何故、当時一流の記者として評価を受けたか分からなかった。三宅の著書を読んでることが前提なのかな。一流の評価を受けながら、大戦に迎合する記者は一流なのか。その分析が、筆を折るか、折り合いをつけるかという選択肢からしょうがないでは、ちょっと消化不良。自分が読み込めてないのかも。2021/01/25
あまたあるほし
3
いまだ体型的に整理されていなかった三宅雪嶺の思想と生涯を丁寧に追った名著。2020/10/11